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zoom RSS テーマ「哲学」のブログ記事

みんなの「哲学」ブログ

タイトル 日 時
<ISは武力で制圧できるのか>
ISの残虐さが詳らかになるにつれ、彼らに対しては武力による殺戮、殲滅を支持する声が巷で高まっている。これまでのテロ集団とISとでは質が異なるから武力掃討もやむなしと誰もが思うようになっているのだろう。だが、それこそは時の気分に流されやすい大衆的発想でしかない。IS誕生の歴史を振り返れば、米英側が武力行使を繰り返すことでテロ集団もまた変質し、より凶暴になってきた過程を窺い知ることができる。それは用水路に潜むボウフラを殲滅しようと殺虫剤をまいた結果、よりタフで悪質な蚊が増殖して住民がしっぺ返しを食ら... ...続きを見る

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2016/05/03 12:01
<人間社会は弱肉強食なのか>
Yahoo知恵袋より ...続きを見る

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2014/10/31 19:05
<勝利の瞬間>
あるバドミントンの試合をインターネットで観戦した。それは事実上日本ナンバー2を決める日本人同士の熾烈な争いで、勝利が決まった瞬間、相手より年下のその選手は派手なガッツポーズを決めてみせた。だが、その光景にはいくらか違和感を覚えずにはいられなかった。 ...続きを見る

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2014/02/06 12:47
<宗教と科学>
宗教と科学、それは人が抱く知への渇望にこたえる両輪であって、人の営みにおいては、本来どちらも欠くことができないものだ。 わかりやすく言えば、宗教は人間の抱くWHYにこたえる手段であり、科学はHOWにこたえる手段だということである。実のところ、科学は、何故そこに美を感じるのかといった素朴な疑問にさえこたえるができない。生きねばならぬ理由、死なねばならぬ理由もまた同じ。科学はそれ自体、もともと手を出せる領域が限られているのである。 ...続きを見る

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2014/02/04 12:10
<核武装に替えて>
確かに、独立国家としての矜持を保つべく、不安定な国際情勢を抱える国々が核武装を企図するのが今の時代の趨勢といえば趨勢なのかも知れない。けれども、そもそも核を持つ理由が相手の核を使わせないことを目的とするなら、そのための方法は何も核武装である必要はないわけだ。互いが核を持つようになってしまえば、その先にあるのは文化文明の自滅、いうなれば共倒れである。 ...続きを見る

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2014/02/03 10:26
<核武装の誤謬>
戦争に勝つためであるなら、いかなる非道も許されるという合理主義は最終的に核兵器を生み出した。その使用に際しては人道も武士道も全く介在の余地がなく、非武装市民が標的とされる。核兵器こそは近代合理主義の権化にして目的のためには手段を選ばずという退廃のシンボルそのものなのだ。 ...続きを見る

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2014/01/27 08:55
<電力不足の妄言>
以前の電力会社の説明によれば、原発が稼働しなければ供給電力が絶対的に不足して、国民の生活、並びに日本経済は大打撃を受けることになるはずなのだが、今年の9月15日以降、稼働中の原発は一基もない。はてさて、これまでに原発停止を原因として電力供給の途絶えた地域なり都市なりがあっただろうか。つまるところ、彼らが憂えていたのは供給電力の不足ではなく、その売り上げが落ちることであったに過ぎない。 ...続きを見る

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2013/09/04 12:49
<一国独立と核武装>
わが国の保守思想家たちの中には、一国独立を価値の頂点に据え置き、今日あるような対米追従姿勢、即ち属国状態からの脱却には、核武装が必要だとのたまう人々がいる。 しかし、一国独立を価値の頂点に据え置くという発想は、そもそも具体的な何のためにあるのか、疑問に思わずにはいられない。もし、その目的のために核武装のごとき退廃を容認するというのであれば、その目的の価値それ自体が貶められてしまう矛盾であるとしか思えない。 ...続きを見る

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2012/06/13 11:57
<日本人らしさとは何か>
日本人らしさとは何かと問われ、即座に思い浮かぶのは、惻隠の情と無常観である。前者は相手を自分自身のこと以上に思いやる優しさであり、後者は、森羅万象の移ろいをあるがままに受け入れ、形あるものに拘泥しないという哲学だ。勿論、方々に異論はあるだろうが、日本人とはかくのごとしだというのが、偽らざる私見である。 ...続きを見る

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2012/05/28 08:16
<エビデンスのない話I終わりに>
■町医者の実感 既知の見解もいくらか含まれてはいるが、本稿は概ね町医者の診療経験と素朴な実感のみに基づいた論考である。その内容は既に専門化された複数の領域にまたがる提言であるため、本稿の全体像を一度に公の舞台で報告する機会はないかも知れない。しかしながら、そこに一抹の理が宿るなら、将来、これまでの整形外科の保存療法のいくつかは変更を余儀なくされることだろう。 ...続きを見る

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2012/02/26 20:00
<エビデンスのない話@医者の喜び>
■外科医の盲点 医者の喜びとは患者が治ることである。即ち目の前の患者が笑顔で医者のもとを去っていくことだ。これは専門科を問わず、あるいは勤務医、開業医の別なく、何ら変わることがない。その喜びを得るため、これまで整形外科領域においても数多くの目覚しい業績があげられてきた。学術集会では幾多の有益な報告が行われてきたし、今後もそうであるだろう。それらの蓄積が整形外科の発展を通じて大勢の患者の健康に寄与することは全く疑いのないことだ。しかしながら、その集会は、あくまでメスを握る外科医の集いであり、そこ... ...続きを見る

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2012/02/17 14:14
<賢者の選択>
多数で議論するのは正しいことだ。しかし、多数決でものごとを決めるのは、必ずしも正しいことではない。通常、最高責任者と呼ばれる者が最終決断を下すなら、多数決は必ずしも必要ないのだが、民主主義においては、その性格上、どうしても多数決を採用せざるを得ない場合がある。その場合、多数決でも比較的正しい判断が下せるような工夫が必要となるだろう。となれば、討議はより開かれた多人数で行い、決定は選ばれし少数の賢者が多数決で行うというのが民主主義の理想ということになるが、もし、それがうまく機能していないとすれば、... ...続きを見る

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2012/02/02 09:00
<幸福になるための技術>
先日、NHKで幸せになるための方法を扱う番組があった。コロンビア白熱教室第五回、「幸福になるための技術」である。その中で面白い統計の話が紹介されていた。 就職活動に際して、就職先のメリット・デメリットを書き出し、それぞれのポイントの重要性を勘案した上で最終的に就職を決めた理性派グループと、片やそうした面倒な手続きを経ることなく直感に従って就職を決めたグループとの比較検討の結果、社会人になってからは、明らかに前者の方が社会的地位も所得も後者を上回ったという。 しかし、その一方、仕事に対する満足... ...続きを見る

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2012/01/09 09:23
<宇宙と生命の進化>
いわゆるダーウィンの進化論は、進化のきっかけとして自然淘汰と突然変異でもって説明が試みられているが、ほんの少し考えてみるだけで、その論理の欠陥を指摘することができる。 例えば、突然変異という現象は偶発的に遺伝的な変異が生じることを指すが、そうした変異が個体生存に有利はたらくとは限らないし、第一、交配が進めばその遺伝形質は希薄になってしまうので、劣性となるのが当たり前。そうなると突然変異は種の進化にまで結びつくことはあり得ないといえるだろう。 ...続きを見る

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2012/01/09 08:59
<日本が日本であるということ>
実は、国体も万世一系も、大方の一般庶民にとってはどうでも良いことだ。ミカドも将軍様もただの偉い人。しかし、王朝が交代する他国と異なり、万世一系を守り続けたところに日本の文化的特質があるのは間違いない。ゆえに、国体=天皇とする勘違いも生まれてくるのだろう。無論、ここでいう国体とは、国民体育大会のことではあり得ない。 天皇が神的君主であり、権威の象徴であるならば、将軍は政治的君主であり、権力の象徴である。権威と権力が分離して国が平和であったことが万世一系を実現させたともいえるし、万世一系が続いたか... ...続きを見る

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2011/12/18 09:58
<日本の存在意義>
意識の進化とは、経験を深めた存在の本質が、その意識を神の領域に向かって高めていくことを指す。そのように人間精神の在り方をみるとき、共同体を構成する個々の意識のレベルに応じて文化のレベルがあり、且つ又その文化のレベルに応じて、個々の意識の進化があるといえるだろう。 縄文時代には、争いや略奪の痕跡がなかったという説を耳にすることがあるが、その時代の人々は、穢れを知らぬエデンの住人であったか、あるいは現代の我々をはるかに凌ぐ進化した意識の持ち主であったのかも知れない。 「日本人はなぜ世界から尊敬さ... ...続きを見る

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2011/12/18 09:58
<諦観>
核を持ちたい馬鹿には持たせておけばそれで良い。この台詞には“あるがまま”の思想が隠されている。あるがままの思想とは、自らの外側にあるものに対して、己の正義を振りかざすことをしない、即ち“裁かない”というスタンスのことだ。持ちたい馬鹿者は、その愚かさによっていずれ自ら滅ぶ。それは、輪廻転生と因果応報の法則によって、我々の下した選択はその全てが、時をまたいで正確に我々自身の運命を決定付けるという意味である。 ...続きを見る

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2011/12/18 09:56
<大切なもの>
先日、ブータン王国国王ご夫妻が訪日されていたが、あれほど小さな国の在り様、その文化に、GDPの増大ばかりを追い続けてきた世界の先進国が学ぼうとしているのは、やはり、何が本当に大切で価値があるのか、国籍、文化、宗教を問わず、人類には共通認識があるからではないだろうか。優れた想いを育む者には、何が本当に優れているかが明らかなのだ。 ...続きを見る

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2011/12/14 13:59
<ブータン王国>
ブータン王国は、GNPならぬGNH(国民総幸福量)の増大を国家目標に掲げ、国民が幸福感を得られているかどうかを、いくつかのアンケートでもって定期的に調査しており、90パーセント以上の国民が幸福であると答えた実績を有している。国民が幸福であるためには皆が健康でなければならないという理念のもと、人間の病は自然環境を害することによって生じるとの認識から、この国では、そのために様々な規則でもって自然保護に努めているという。そしてその結果、事実、国民には病気が少ないのだそうだ。 ...続きを見る

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2011/12/14 13:57
<守銭奴の末路>
ネット・ニュースより <引用開始> <原子力協定>今国会成立へ…4カ国対象、民・自が大筋合意 民主、自民両党は28日、政府間で署名を終え国会の承認待ちとなっているロシア、ヨルダン、韓国、ベトナムとの原子力協定を今国会(会期末12月9日)で成立させる方向で大筋合意した。政府が進める原発の海外輸出に必要な協定だが、東京電力福島第1原発事故後は国会審議が停滞していた。事故はいまだ収束せず、原因究明も途中のため国内には原発輸出に慎重論も根強いが、国際的な信用確保を優先させる判断で両党が折り合った。... ...続きを見る

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2011/11/29 12:47
<幸福と欲望の狭間>
幸福と感覚的な悦びとは似て非なるものだ。誰もが幸福な人生を送りたいと望むが、多くの場合、何が幸福かは不幸に遭遇してみなければわからない。幸福とは平凡な日常に埋没していて、それとは気付かれぬものだからだ。 ...続きを見る

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2011/11/19 06:38
<断面(追記)>
我々が暮らしている世界は4次元時空と呼ばれ、三次元空間に時間の一次元が加わったものだ。ゆえに、ある時点で観察される対象は、その存在の一断面に過ぎない。例えば、女性の外見的な美しさであるなら、それは永続的なものではなく、存在の時間的な広がりの中では、限られた期間でしか観察されない特別な性質ということができる。我々が知り得る対象は、その全てが存在の微分値でしかないというわけだ。 ...続きを見る

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2011/11/16 17:19
<恥知らず>
ネット・ニュースより ...続きを見る

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2011/11/16 12:03
<祈り>
昨日、仲の良かった従兄弟が急逝した。小生より六つ年上、享年48歳。妻と子供二人、中学2年生の娘と小学6年生の息子を残し、年老いたご両親に先立つ不幸だった。 ほどよく歳の離れたこの従兄弟には、兄貴分として中高時代、よく勉学の面倒をみてもらっていた。彼は天文と物理に造詣が深く、相対性理論やビッグバン宇宙論の話を最初に教えてもらったのも、この人からだった。 ...続きを見る

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2011/11/08 13:10
<奇跡の治癒>
難病を抱える孫娘の容態が悪化したとき、己の余命と引き換えに孫の回復を祈ったある老人。老人はとりたてて持病もなく、健康そのものであったにも関わらず、祈りを捧げて間も無く急逝した。 老人が他界するや否や孫の容態は快方に向かい、生死の危険は脱したが、残念ながら病それ自体が癒されることはなかった。 ...続きを見る

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2011/11/05 22:25
<断面>
二次元平面に暮らす生き物がいたとする。 その平面に三次元の立体が交差しても、平面に暮らす生き物には、立体の断面の姿しか見ることはできまい。 立体が平面との交差を終えたとき、平面に暮らす生き物にとっては、それが世界から消滅してしまったかのごとく見えるかもしれない。 だが、立体が失われたわけでは勿論なく、その存在のありかが二次元平面から離れたに過ぎない。 ひょっとすると、我々の住むこの世界でもまた、目に見える存在は、その全てが皆かりそめの姿であり、何かの断面に過ぎないのかも知れない。 ...続きを見る

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2011/11/04 16:22
<儲かれば良いのか?>
「原発の対外輸出は大いにやるべき」などという意見もあるようだ。 ...続きを見る

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2011/11/02 15:58
<原発を稼動するメリット?>
原発を止めると化石燃料代が余分にかかって支出がかさむ。止めるのは損だから稼動する方が利口だなどという意見がある。要するに、原発は止めるのにも稼動するのにも金がかかるのだから、稼動させた方が得だというのだ。お得な理由の一番は燃料代の安さなのだとか。 ...続きを見る

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2011/11/02 14:25
<馬鹿は死ななきゃ治らない>
「この国と原発」より ...続きを見る

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2011/11/01 08:53
<ある奇跡>
通常、正義の衝突である嫁姑の諍いにおいては仲裁など不可能だ。 その抗争は夫を伝令役とした冷戦の形をとり、間に立つ夫にのしかかる重圧は計り知れない。 最終的に、妻の前では妻に相槌を打ち、母親の前では母親に相槌を打つ風見鶏と化すしか良識ある夫に道はない。 だが、それにも限界というものがある。 あるとき、切羽詰まった哀れな夫は聖者に祈りを捧げた。 するとどうだろう。 両者は夫の知らないところで直接対決に打ってでた後、和解とはいえぬまでも、折り合いをつけるに至ったのである! 夫にとって、そ... ...続きを見る

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2011/10/28 14:44
<奇跡>
想いと行いの結実として現在、そして未来があるとするなら、病との遭遇は縁に他ならず、それを癒す医者との出会いもまた、これ即ち縁といえるのかも知れない。 因果応報を納得してはいても、わが身の自業自得を承服するのは誰にとっても意外と困難な作業だ。 「どうして自分だけがこんな目に・・・」 人生を納得するに足る道理を求めずにはいられぬ衝動は宗教的希求であり、その道理は客観証明が不可能であるがゆえに信仰と呼ばれる。 そして宗教とは、それを信奉する民族の慣習によって信仰が伝統化したものといえるだろう。... ...続きを見る

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2011/10/27 08:45
<楽しく生きるには>
楽しくない人々がどうすれば楽しい人生を送ることができるのか。 実は、それほど難しいことではない。 楽しく過ごせる人というのは、目の前にいる誰かにどうすれば楽しんでもらえるかをいつも考えている人である。 逆に、楽しくない人というのは、いつも自分が楽しませてもらうことばかりを考えて、目の前にいる誰かが楽しいかどうかにまるで無頓着な人である。 誰かを楽しませることのできる人だけが、本当に楽しく生きることができるのではないだろうか。 ...続きを見る

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2011/10/19 18:26
<原発を望む人々>
それにしても、ことがここに至って尚、目先の金目当てで自分たちの故郷に原発を望む人々がいるという事実に驚かされる。 確かに一定期間なら、原発はある程度の安全と効率を確保できるかもしれない。だが、それは長い目でみれば、あらゆる問題を将来に先送りしているだけの欺瞞の結晶ということができる。 それがわからないのは、時を俯瞰できぬ愚か者ゆえ、大衆のゆえ。 子々孫々の幸福を犠牲にし、先祖より受け継がれし郷里の自然を台無しにするリスクを背負うことになろうとも、老い先長くもない自分たちの目先の生活を優先す... ...続きを見る

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2011/10/12 13:11
<大衆的視野狭窄>
9月25日、山口県上関町の町長選挙の結果、原発推進派団体が推薦する柏原重海氏が3回目の当選を果たした。この地元では高齢者が多いのだそうで、ネット上を飛び交う原発の真実に無知無頓着な人々が大勢を占めた結果といえるのかも知れない。要は、拝金主義、米国的近代合理主義に毒されたまま、マスコミの世論操作に無抵抗な愚民感覚のままに票を投じた人々が多かったというだけの話だ。 ...続きを見る

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2011/09/27 13:40
<ある小学校長に宛てた手紙>
今年から貴校の運動会では、選抜リレーがなくなってしまいましたが、それはいかなる理由によるものなのでしょうか。もし、それが選にもれた子供たちの父兄による、わが子かわいさゆえの廃止要請に基づくものであるなら、貴校の教育方針に懐疑的とならざるを得ません。 ...続きを見る

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2011/09/16 17:57
<明日を思い煩うなかれ>
明日は明日自らが思い煩わん・・・ ...続きを見る

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2011/09/15 08:43
<誓い>
人には、とこしえの愛を神の御前で誓う瞬間がある。 しかし、そのようにして交わされた約束もまた、紆余曲折の果てに破られることしばしばだ。 “自由”の前には神の名ですら屈服せざるを得ない現代社会。 ...続きを見る

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2011/09/15 08:40
<人間性の問題>
.<引用開始> ...続きを見る

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2011/08/31 13:20
<神の奇跡>
力自慢がいかに馬鹿力をふるってみせたところで、原爆にみる強大な力の解放を知る現代人は、そこに畏怖の念を抱くことはあっても、畏敬の念を抱くことはできまい。 また、病気癒しの御業がいかに盛大にふるまわれたところで、それは高々数十年の寿命のいくばくかを延ばしこそすれ、死そのものから解放してくれるわけではないだろう。 現代医学の業績の数々は、古代の人々にとって神の奇跡と区別しがたいに違いないが、しかし、何もしなければ数日で穏やかに死ねるはずの命を、ただいたずらに引き延ばしては人を苦しめるだけの医療を... ...続きを見る

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2011/08/27 08:23
<神の時代>
預言といわれるものの中には、時々、神の時代の到来を告げるものがある。 人が、何か価値あるもののため、己以外の何者かのために、自らの命を捧げる覚悟を示すなら、そこには神の姿がある。 とすれば、核の矛先を向けられながら、自らは核に頼らずという死の受容を示すとき、人は神となるに違いない。 ゆえに、日本が核の傘を拒絶し、核武装の野望を全面放棄するとき、預言された時代が到来すると私は信じる。 そして、その最初の一歩が、脱原発なのだ。 やっと、歴史は動き始めたのかも知れない。 ...続きを見る

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2011/07/14 12:36
<GNH>
Wikiより <引用開始> 国民総幸福量(こくみんそうこうふくりょう、英: Gross National Happiness, GNH)または国民総幸福感(こくみんそうこうふくかん)とは、1972年に、ブータン国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクが提唱した「国民全体の幸福度」を示す“尺度”である。国民総生産 (Gross National Product, GNP) で示されるような、金銭的・物質的豊かさを目指すのではなく、精神的な豊かさ、つまり幸福を目指すべきだとする考えから生まれたものである。... ...続きを見る

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2011/06/13 12:44
<知識と智恵>
知識と智恵は異なる。 ...続きを見る

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2011/06/12 11:25
<被災者だけではない>
東北の方々を襲った惨劇に鑑みて、慈悲の神などいはしないなどとのたまうならば、それは全く愚かなことだ。 なぜなら、気の毒なのは東北の方々だけではないからだ。 生まれてきた以上、誰もが人生の浮き沈みを経験し、そしていつか必ず、そこに終焉を迎える。 医者から末期がんを宣告された方々を除き、ほとんど全ての人々が、いつ、どのような形で自らの人生を終えるのかを全く知らない。 つまり、我々は皆、潜在的かつ本質的に気の毒なのだ。 かわいそうなのは我々全員。 今ある姿だけが全てでは決してない。 ゆえ... ...続きを見る

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2011/06/06 12:47
<道(再編集版)>
日本においては、精神的な自己鍛錬を要するあらゆるジャンルにおいて「道」の名がつく。武道然り、茶道においてまた然り。それらは求道者の営みであり、最後にたどり着く場所もまた等しいに違いない。たどりつく場所とは真理そのものではないだろうか。 ...続きを見る

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2011/05/17 17:37
<真善美>
美しいものには真実があり、真実には善が宿る。 真・善・美は、同じ一つの真理が有する三つの側面であるのだとか。 藤原正彦氏の最新刊「日本人の誇り」にそうあった。 ...続きを見る

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2011/05/16 14:03
<対治と同治>
対治と同治というコトバが仏教にはある。 対治とは、病に対して薬や手術を用い、これを治そうとする行為。 医者による治療がこの典型。 要するに、病を悪としてこれに抗うもの。 ...続きを見る

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2011/05/12 20:01
<始動>
獣の論理とは、力を正義に据え置く理性宗教の教え。 自由の美名に隠されし獣化、ジャングル化、弱肉強食の掟。 ...続きを見る

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2011/05/11 19:05
<自主防衛は自主核武装にあらず>
日下公人・伊藤 貫著「自主防衛を急げ」を読了した。大筋において首肯するものだが、結論には大反対だ。 自主防衛イコール自主核武装の論理が、いかにも拙劣。この手の主張を何度読み返してみても、核武装を正当化せしめる根拠がどうにも薄弱の感をぬぐえない。 ...続きを見る

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2011/05/11 13:11
<愛の連鎖>
原発は、それが造られた場所に住む人々や自然に過大な犠牲を強いる節度なきエゴの権化。 自分さえよければそれで良いというヒトの想いが実体化したもの。 ...続きを見る

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2011/05/05 17:06
<死の受容>
観念としての死と、実感としての死。 そこには大きな隔たりがある。 後者を受け容れているか否かは、行為に顕われる。 明日、己の命が尽きることを前提として、今日を生きているか否か。 次の瞬間、死ぬことを前提として、今を生きているか否か。 獣は、ただ死に抗うために生きるのが定め。 ...続きを見る

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2011/05/05 08:56
<真の理>
衆愚政治を劇的に転換させるには、もはや暴力革命しかないと多くのヒトが考える。 そして、そのような想いが人間の側にある限り、その実現が途絶えることは決してない。 だが、そのような行為がもたらすものは、罪なき人々の犠牲と、際限なき暴力の連鎖だ。 劇薬には犠牲と依存性がつきものである。 それは、時のうつろいを悟れぬ者たちの終わりなき悪夢。 目的の前にあって手段を選ばぬ退廃が、それを引き起こす。 近代合理主義という名の獣の論理がもたらすもの。 ...続きを見る

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2011/05/05 08:51
<矛盾>
信仰の伝統化したものが宗教であるならば、宗教もまた伝統的叡智の宝庫とみなされねばなるまい。 つまり、宗教を仮構にとどめて論を紡ぐという行為自体が、とりもなおさず近代合理主義に通じるというわけだ。 西洋発祥の保守思想が伝統に依拠することを前提とするなら、そこにはやはり、キリスト教的価値観がその自覚のあるなしに関わらず内包されているのではないだろうか。 ...続きを見る

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2011/05/05 08:49
<無自覚な信仰>
多くの人々の主張にあって、信仰という代物は実に無自覚に紛れ込んでいるものである。 そのうちのひとつにニヒリズムがある。 人間存在をして、ただ飯を食らい、糞を垂れるだけの有限存在と規定し、死ねば全てがおしまいであるとする思想だ。 ...続きを見る

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2011/05/05 08:46
<信仰の伝統化>
宗教と信仰とは混同されることがしばしばだが、宗教とは、信仰が歴史の修飾を受けて伝統化したものである。つまり、信仰それ自体と、宗教とは似て非なるものだ。 たとえば、哲学は宗教とは異なるが、それは最終的に証明不能な何事かを受け容れねば論理が成立しない。この証明不能な何事か、これこそが信仰なのだ。 そういう意味では「宗教的絶対は仮想を超えるものではない」というのも、“信仰”の一つだ。 その信仰が伝統化したものの一つが理性宗教である。いわゆる唯物論に代表される価値体系に基づいた近代合理主義だ。 ... ...続きを見る

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2011/05/05 08:41
<自由化という獣化>
自由な♪獣みたいに走ろうぜ♪ 最近、子供時分に観たアニメ「トムソーヤの冒険」が再放送されている。 その主題歌として流れる歌詞の一節に上記のごときフレーズがある。 ...続きを見る

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2011/04/27 08:43
<責任?>
わが国の将来的な核武装を企図し、原発を造らせた張本人は中曽根康弘氏といえる。 氏は、わが国においては原発の父、核武装の父とさえ呼べるだろう。 そこには、日本という実体、即ち箱を守るためには力が必要だという正義があった。 ...続きを見る

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2011/04/22 18:45
<原発事故の真実>
<wikiより引用開始> 1978年11月2日 東京電力福島第一原子力発電所3号機事故 日本初の臨界事故とされる。 戻り弁の操作ミスで制御棒5本が抜け、午前3時から、出勤してきた副長が気付きゆっくり修正し終わる10時半までの7時間半臨界が続いたとされる。 沸騰水型の原子炉で、弁操作の誤りで炉内圧力が高まり、制御棒が抜けるという本質的な弱点の事故。この情報は発電所内でも共有されず、同発電所でもその後繰り返され、他の原発でも(合計少なくとも6件)繰り返される。1999年志賀原発事故も防げたか... ...続きを見る

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2011/04/12 09:40
<優れた伝統を紡ぐもの>
守るべき確かなものには実体など不要である。守るべきものは、我々の意識の内側にあるからだ。実体といわれるものと意識の内側にあるものとは、はじめから不可分であり、意識の内側に価値あるものが存続しさえすれば、いつでも実体化は可能なのである。 ...続きを見る

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2011/04/11 17:14
<想いなくして独立なし>
確かに、日本は独立国家としての体裁を保ってはいるが、実質的には米国の属国としての地位に甘んじており、日米同盟は決して対等ではない。ゆえに、国民の間にも属国意識が浸透しており、精神の独立は容易ならざる状況である。 そこで、近隣諸国との外交に遅れをとることなく、真の独立を果たすためには自主核武装が欠かせぬという意見がでてくるわけだが、これには懐疑的とならざるを得ない。敗戦認識の払拭と核との決別とこそ絶対条件だと愚考するからだ。 ...続きを見る

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2011/04/11 16:40
<獣の王>
日本を属国扱いする米国をどれほど憎んでみたところで、所詮、そこに実体はない。 実体のない獣の王に、実体兵器たる核をつきつけてみたところで、得るものは何もない。 獣の王は手下のもつ力を利用するだけだ。 せいぜい、その力で代理戦争をさせられるのがオチである。 ...続きを見る

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2011/04/11 15:16
<ハートで勝負>
対米従属からの脱却をはかるのに、米国のいやがることをすれば独立できるというのは、学問的な考察とはいえない。 彼らがわが国の核武装をどれほど嫌っているとしても、わが国が民主主義的な手続きによって核武装を選択したなら、彼らもそれを認めぬわけには行くまい。 しかしながら、核武装をしたらしたで、それをどう利用するかを考えるのが、彼らである。 即ち、核武装を是認する場面で、様々に約束を強いて自分達の利益に還元しようとするに違いない。 ゆえに、核武装で一国独立したつもりになっても、所詮はつもり。 ... ...続きを見る

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2011/04/11 15:01
<遥かなる想い>
想いは時をまたぎ、歴史を紡ぐ ...続きを見る

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2011/04/10 08:10
<賢者と愚者>
賢者は愚者と思しき相手に対してすら、敬意を払うことを忘れない。 ...続きを見る

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2011/04/07 10:04
<核との決別>
人は無政府状態から国家を生み出し、国家を守る闘争と殺戮の歴史によって最終的に核兵器を産み落とした。ある意味、これは歴史的必然であり、このこと自体を間違いであると否定することはできない。それは獣から神に至る人類の意識進化の過程で起こる必然と考えられるからだ。 問題はその先だ。 ...続きを見る

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2011/03/30 16:58
<想いと現実>
核廃絶は理想だが、現実的には核武装が必要だというのは、よく耳にする主張である。 このように思想次元と現実次元とを独立して考えるのは、二元論ということができるが、それは間違っているのではないだろうか。 ...続きを見る

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2011/03/30 10:38
<一身独立と一国独立>
国家の独立を果たすためには核武装が必要という独立国家核武装必要論には、簡単にいくつもの反例を挙げることができる。 例えば北欧であるとか、カナダであるとかだ。 無論、国情が異なるので、一概にそれらを反例とすることはできない。また、実体はさておき、日本もまた独立国家であることは間違いない。ただ、実質的に米国の属国というだけ。 その実質的な属国状態がどこから来ているかといえば、敗戦を事実として受け容れたという国民の意識からではないだろうか。 つまり、実質的な属国状態は、精神的な属国意識に由来し... ...続きを見る

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2011/03/25 18:10
<核武装不要、原発不要>
原子力を利用するというのは、虎を手なずけるようなものではないだろうか。 サーカスの猛獣ショーでは恐ろしい虎が猛獣つかいの鞭ひとつで様々に芸をこなすが、しかし、だからといって虎が安全というわけでは決してない。虎の飼い主が虎に食い殺されるのはありふれたニュースの一つなのだから。 大衆を大衆たらしめるのは、時の気分でものごとを判断するということである。つまり、何事であれ、想定する時間の枠が短いことにあるといえるだろう。 今日が大丈夫だから、明日も大丈夫。一年虎を飼って大丈夫だったから、来年も大丈... ...続きを見る

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2011/03/25 18:02
<今、そこに迫る危機>
このような原発災害は、随分と以前から予想されていた。 しかしながら、今回の被災地は、もっとも心配されていた地域とは異なったのが救いである。 あるいは、最悪の場所にそれが起こることへの、最終警告と受け取るべきなのかも知れない。 ...続きを見る

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2011/03/18 17:17
<大衆と原発>
日本の原発建設は将来の核武装を視野に入れた国家政策で始まったといってよい。 実際はエネルギーを原発に頼ることで電気料金は割高になっており、OnOffの困難な原発を運用するため未稼動になっている火力発電所を用いれば、電力供給には必ずしも事欠かないという報告もある。 ゆえに、エネルギー供給に原発が必要というのは、単なる刷り込みかも知れない。 公共事業の名目で造られ続けているため原発依存度が高くなる一方、これに温暖化二酸化炭素悪玉論が拍車をかけているのが実情だ。 潤うのは政官業ヤクザ。 し... ...続きを見る

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2011/03/18 13:48
<真理への道>
今日あるような価値相対主義を生み出した、人間理性こそ真理とする発想は、他ならぬ人間理性によって、その破綻するところが明らかとなった。それこそは、ゲーデルの不完全性定理による。では、人が、自然現象を超えた何かであるという認識を、果たしていかなる概念が過不足なく説明し得るだろうか。 ...続きを見る

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2011/03/09 09:06
<大衆からの脱却>
真理への道を極めるにあたって必要なのは、主体性と客観性である。 賢者、あるいは聖者と思しき相手に対してすら、まずは懐疑的に接し、自らが納得するに足る明確な理由を見つけるまでは動かないという主体性。その検分に必要なのが伝統的規範とでも呼ぶべき良識である。 ...続きを見る

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2011/03/08 19:29
<真理と愛と>
真理とは、愛というコトバにも置換することができる。しかし、愛というコトバは、神というコトバと同様、誤解の多いコトバでもある。愛とは何か。これを追究した先にあるのが真理である。 ...続きを見る

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2011/03/08 18:09
<選ぶ資格、選ばれる資格>
先日、市議選民主党公認候補者が、私のところへ挨拶まわりにやってきた。 私よりも若く、そこらへんのマダムにモテそうなイケメン君。 彼は国家戦略室担当議員の秘書をしているというので、ためしに少子化原因だとか、エネルギー問題、地球環境問題など、基本的な事項についていくつか質問してみたわけだが、これが本当に何もご存じない。 ...続きを見る

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2011/03/04 12:13
<真理の追究>
古の時代、神学、哲学、科学、真理を追究せんとする人の営みは、それぞれに未分化であった。 ところが、科学の目覚しい発達の恩恵に浴するようになったことで、近代、現代を通じ、前二者の相対的な地位が凋落したかのようだが、依然として真理探究にそれらは欠かせない。 今日、量子物理学の登場と、その業績の数々によって、それまで神学や哲学のみの卓見であったものが、科学的事実として脚光を浴びる時代となった。 ...続きを見る

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2011/03/04 12:00
<哀れな犬の話>
何にでも咬みつかねば気の済まぬ孤独な犬をみかけることがある。 ...続きを見る

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2011/03/01 18:50
<新たなる時のつむぎ>
復讐の歴史を人間のサガとして諦めるのは容易いことだ。だが、本当はそこに葛藤する営みにこそ、価値がある。 結果のために行為するのは愚かなことだ。 ...続きを見る

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2011/02/17 13:28
<不完全な思想>
ゲーデルの不完全性定理によれば、数学を含む無矛盾のあらゆる公理系には、その内部に否定も肯定もできない証明不能の命題が含まれるという。 一見、数学とは無縁な主義思想の話ではあっても、それらを極めれば、必ず存在論にたどりつく。 存在論を語ろうとすれば宇宙論や量子論を用いざるを得ず、そこには数学が含まれる。 さすれば、主義思想をいかに極めてみせたところで、そこに証明不能の命題が横たわるのを避けられまい。 ...続きを見る

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2011/02/15 21:53
<ある寓話>
とある無邪気な男が、高僧に尋ねました。 「神様はどこにいらっしゃるのでしょうか。よろしければ、私にも神様をみせてはいただけないでしょうか。」 高僧は無言で男を見つめていましたが、やがてこう答えました。 「承知いたしました。では今度、神様をご覧に入れましょう。」 ...続きを見る

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2011/02/13 23:35
<天理と人道>
二宮尊徳 『二宮翁夜話』より ...続きを見る

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2011/02/09 11:31
<賢者の自戒>
あふれる教養は時にその知性を曇らせ、秀でた知性は時に教養の習得を疎かにさせる。 あるいは、劣りし知性が教養への渇望を生み、乏しき教養が知性の働きを活発にするのかもしれぬ。 いずれにせよ、知性と教養、そのどちらがなくとも、人道に生きる限り、そこに価値がある。 逆に、人道に生かされぬなら、それらは豚に食わせる餌にも等しい。 ...続きを見る

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2011/02/07 09:15
<歴史に学ぶ>
歴史を尊び、これに学ぶとはどういうことだろうか。 過去の真実を詳らかにしつつ、そこに先人の叡智を見出す忍耐強い作業が不可欠であるのはいうまでもない。 人は良くも悪くも感情に支配されがちで、ゆえに主観的となるのを避けられぬ。 長期的には叡智が働くことがあったとしても、短期的には愚かであるのが、人間の特質である。 ...続きを見る

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2011/02/06 09:29
<公平という名の正義>
実のところ、復讐心を後押しするのは、ある種の正義感ではないだろうか。 それは公平という名の正義である。 理不尽に損害を与えてきた相手に損害がないのは不公平であるというわけだ。 ゆえに、相手にも同等の損害を与えて公平とせねばならない。 公平を達成せねばならぬという正義。 ...続きを見る

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2011/02/06 09:20
<存在の揺らぎ>
我々が唯一確かだと思っている自らの存在。しかし、量子論的には、「存在」すら揺らいでしまう。もとより「存在」とは、それを認知する客体があって、はじめて存在するといえるもの。女性が一生懸命お化粧をしても、それを見る誰かがいないことには、お化粧もあってなきがごとしである。存在には確かな実感があるとしても、問題は、その実感が何によってもたらされているかということだ。 ...続きを見る

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2011/01/29 18:21
<真実の敵>
核武装を是認する姿勢は、獣の論理につき動かされる獣の姿そのものである。そして、相手が獣ならば撃って良しとする姿勢は、さらに自らの獣性を証する愚劣の極みといえるだろう。 もとより人間は、その裡側に獣性と神性とを兼ね備えている。ゆえに、その神性が麻痺し、獣性の下僕と化せば、かくなる結論がとびだしてくるのを避けられぬ。相手が獣であると知って撃てぬのが、神性のゆえなのだから。 ...続きを見る

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2011/01/25 12:31
<仕組まれたドラマ>
昔から、人間は同種族でありながら、縄張り争いの名目で殺し合い、陣地とりを繰り返してきたわけだが、これは、ドーキンス博士の利己的な遺伝子説で説明がつく。 遺伝的に近い種族を選択的に残そうとする、DNAに内蔵されたプログラムがそうさせるというわけだ。 さすれば、我々に殺し合いをさせる真の敵とは何かということを、考えねばなるまい。それは、襲い掛かってくる目に見える存在としての敵なのか。そうではないはずだ。生命に包含された利己的な性質、その獣性こそが、我々を生かしもすれば、殺しもするのである。 ... ...続きを見る

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2011/01/25 12:28
<天皇陛下の大御心>
「日本が最初に核を開発すれば、人類を滅ぼす宗家になるではないか」と諌められた昭和天皇。 日本に核兵器は要らぬというそのご聖断に対し、「今日のような世界情勢なら、陛下もこんなことを言われなかっただろう」などと発言するのは不敬も甚だしい。 なぜなら、それは「陛下には先見の明がなかった」と発言しているようなものだからだ。 ...続きを見る

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2011/01/25 12:23
<討論番組に思う>
獣の論理に脳髄を支配された烏合の衆が、どれだけ雁首を揃えて物事の是非を討論してみたところで、決して真理にたどり着くことはできないだろう。 ...続きを見る

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2011/01/25 12:17
<核抑止論の虚妄>
人間は、どこかで人間を信じている。 自国に多大な犠牲を払う可能性のある選択肢、つまりは核による反撃を生ずるような選択肢(=核の先制攻撃)がとられることはないだろうという核抑止もまた、人間に対する一片の信頼に寄せられた期待に過ぎない。 ところが、戦後生まれの私にとって、人間に対する信頼は、すでに生まれる前に失われていたのだ。 二度にわたる原爆投下の事実は、人間に対する信頼を根こそぎ失わせるのに十分であった。 これほど卑劣極まりない選択肢を自らの生存欲のためにとりうるのが人間であるとして。 ... ...続きを見る

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2011/01/25 12:13
<核廃絶へのプロセス>
核なしで日本の独立を果たすためには、やはり、滅びを受け容れる気運が国内で高まる必要がある。 そして、その延長上に核の傘からの脱却がある。 日米の同盟関係それ自体は直ちに破棄する必要がないにしても、まずは核による反撃を拒否すればよいのだ。 その上で、日米が対等となる同盟関係を実現すればよい。 核の不要を宣言する以上、それも容易いことだろう。 ...続きを見る

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2011/01/25 12:10
<残されし道>
自前の核を持たずとも、核攻撃を受ける心配をせず、しかも外交をなんとかやっていくためには、やはり経済的な協調を多国間で濃密にして行くほか、手立てはない。 共存共栄の互恵関係だ。相手を攻撃することが、直ちに自国の不利益をもたらすという具合に。 実際、これがありさえすれば、そうそう滅多なことにはならずに済む。 陸続きのヨーロッパ諸国はこうして一体となったわけだが、勿論、問題点も多いわけで、それについては先人の轍を踏まぬように心がけねばなるまい。 核武装だけが唯一の手段ではない。 ...続きを見る

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2011/01/25 12:09
<平和ボケ>
平和ボケとは、核兵器による先制攻撃を受ける可能性を一顧だにせず、また、自らが武器を手に戦わねばならぬ、即ち命をかけねばならぬ可能性を一顧だにしない姿勢である。 死ぬ覚悟を持たず、滅びを受け容れることもできず、ただ、目に見える命に対する執着のみを行動原理とする姿勢のことではないだろうか。 ...続きを見る

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2011/01/25 12:06
<近代合理主義という獣の論理>
戦後、米国より移植された近代合理主義。功利が最優先され、弱肉強食をもって金科玉条とする獣の論理は、人種、国籍を問わず、我々の脳髄に抜きがたく溶け込んでしまっていて、その存在に気づくことが難しいものではないだろうか。 ...続きを見る

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2011/01/25 12:00
<政治は鏡>
人類の意識が獣のレベルに漂い続ける限り、政治論理が獣の論理に従い続けるのは必然である。 だが、そのように拙劣な意識に同調すれば、結局は自らも獣と化して生きるのを避けられぬ。 もとより政治は人の意識を映し出す鏡であり、人の意識が変わることで政治もまた変わるのである。 ゆえに、両者を独立して論じることには、単純にいって意味がない。 ...続きを見る

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2011/01/25 11:49
<お気楽な人々>
時の気分だけで核武装を唱えてはばからぬ人々。 多分、彼らはチャンスさえあれば、日本が有事の際には、平気で国外に脱出してしまうだろう。 所詮、戦うのは自衛隊員だけだと思っている人々だ。 彼らにとっては戦うのも他人なら、殺されるのも他人でなければならない。 ゆえに、自らが死んでしまうのは一大事、国外退去も当然の権利とばかり、憚ることはないだろう。 彼らにとって、一蓮托生などというコトバはまるで意味を持たない。 透徹した人間観など最初から縁がない。 大切なのはただ目に見える己の命のみ。 ... ...続きを見る

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2011/01/25 11:38
<残すべきもの>
ヤクザ国家の子供たちが受ける教育は、生き残りゲームを勝ちとる方法ではあっても、人生を生かす方法では決してないことだろう。 現代日本の教育もまた同様にして、命ばかりが重たくなりすぎてしまい、その命を生かす方法を教えなくなって久しい。 その結果、自らの核武装論に何の疑いも抱かせぬ退廃を生み出してしまった。 実際、生き残りゲームの手段として、核武装は合目的的には違いない。 ...続きを見る

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2011/01/25 11:37
<命の価値を決めるもの>
決死の覚悟をともなわぬ名目ばかりの核廃絶。ただ生き延びることだけを目的に説かれる核武装。ハートがないという点において両者は等価である。 その昔、人の命は今よりもっと軽かった。だからこそ、人は己の誇りに命をかけたのだ。 命の価値を決めるのは、そこに宿った精神のありようだという心意気。 ところが、現代日本では命ばかりが重くなりすぎてしまった。 ゆえに、精神の退廃に無自覚、無頓着な御仁が増えてしまったのではないだろうか。 精神的退廃が進むとともに増える心の病。 それは真我の発する警鐘の表わ... ...続きを見る

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2011/01/25 11:32
<国家、この観念的なもの>
国家の存在意義とは何であろう。それは、個人がより安全に暮らすための道具に過ぎないのだろうか。 実のところ、多くの人間にとって、実感としてある共同体は家族や会社、せいぜい地元町内会の類である。そこから先の市町村や都道府県といった共同体には明確な顔がなく、観念的な存在となるのを避けられない。それが国家、あるいは世界ともなると、これを実感とともに認知するのは、極めて困難だ。 日本の第一線で活躍する、ごく一部の科学者、スポーツ選手といった人々だけに、世界を肌で感じることのできる機会があるといえそうだ... ...続きを見る

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2011/01/24 18:52
<獣の交わり>
日南市にある家内の実家近くでお酒を飲んでいたときのこと。隣席では地元のご年配二人が、酔っ払い談義に花を咲かせていた。何でも、同じ日南でありながら飫肥と油津に住む方々には人柄に違いがあるのだそうで、城下町である飫肥は暗いが、港町である油津は明るいのだという。長年、地元に住んで得た実感なのだろうが、しかし、この方々から見れば、岡山県民の私など、明るい暗いを通り越し、大方異星人の類に相違あるまい。 ...続きを見る

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2011/01/17 12:09
<遺産>
死後の世界を信じて生きるも良し、死ねば全てが終わると信じて生きるも良し。 何を信じて生きようとも、死は誰の身にも分け隔てなく訪れる。 自らを表現する機会を与えられ、何が残せるかを思慮深く考える人は幸いである。 ...続きを見る

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2010/12/22 08:30
<守るべきもの>
命ばかりが惜しくて戦う覚悟のない烏合の衆の代表が、核という名のお守りを得たからといって、どれほどの外交を成しうるだろうか。 戦う覚悟がないのは死ぬ覚悟がないからに他ならない。死ぬ覚悟ができないのは、何を守るべきかを知らないからだ。 我々が守るべきは日本人としての誇りである。 ...続きを見る

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2010/12/21 21:43
<受容>
還暦を過ぎてなお睡眠4時間半で毎日仕事に励む、ある紳士。彼はその脳に破裂すれば死を免れることのできぬ動脈瘤を抱えている。部位的に手術もまた不可能であるため、そのままになっているのだというが、いつも明るく快活そのものだ。 「頭のなかのコレがはじけたら、きれいさっぱりおさらばですよ。はっはっは。」が口癖。 会社では責任ある立場のようで、そう簡単に死ぬわけにもいくまいが、健康不安などどこ吹く風。見ていて実に清々しい。 ...続きを見る

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2010/12/21 21:38
<聖者の奇蹟>
先ごろテレビでも話題に上った飲まず食わずで生きるインドの聖者。その体内で何が起こっているかといえば、まさにフリーエネルギーがコントロールされていると推測される。 意識の深部を自在に操ることができれば、飲まず食わずでいられるだけでなく、無から有を生み出すことすら不可能ではなくなるのかも知れない。 ...続きを見る

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2010/08/12 22:28
<意識の不調和>
潜在意識と表在意識との間には、しばしば埋めがたい乖離が生じる。意識の深い領域は輪廻転生の記憶を保持し、当該人生において己自身が何を目的として生まれ、その人生をどう全うさせるべきかを心得ているが、我々がそのような目的から逸脱した人生を歩もうとすれば、両者の乖離が嵩じて肉体に変調を来たす場合がある。 ...続きを見る

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2010/08/12 22:18
<似非科学という蔑称>
現代、いわゆる超常現象はオカルトの類として科学の俎上からは排斥されている。このため、超常現象について真面目に考察することは、それ自体、非科学的、あるいは似非科学という呼称で侮蔑的に疎んじられてしまう場合が少なくない。要するに、もともとそのような現象は常識的にありえないという固定観念がそこにあるわけだ。 ...続きを見る

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2010/08/12 22:15
<核によるリセット>
既に論じてきたように、世界は意識の相転移によって成り立つエネルギー的な開放系にあり、宇宙の変遷、生命の進化を顧みる限り、熱力学の法則は成り立たない。同時に、我々の意識はその深い領域において一体であり、実在は不可分であるということにも科学的な根拠がある。 そのような視点で文明を眺めると、我々の意識の深化と、生み出されてきた数々のテクノロジーとの間には相関があるといえる。 そして、意識深化とともに発達してきた文明がプラトーに達して滅び去るのか、それとも新たなパラダイムの転換を迎えてさらなる飛躍を... ...続きを見る

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2010/07/26 08:52
<パラダイム・シフトという選択>
進化の営みには、種の分岐にあるがごとく、不可逆的な大進化を遂げる瞬間がある。ひょっとすると、意識の進化にも同種の変容が生じる機会があるのかも知れない。現代は、良かれ悪しかれ、過去のいかなる時代にも存在しなかった多種多様な刺激に満ちており、それらが我々の意識にこれまでにない何らかの作用を及ぼすことも予見される。 PCとインターネットの登場は、我々の意識が不可分のネットワークでつながれていることを想起しやすくさせている。また、電算機の発達は脳機能を理解する上でも寄与するところが少なくない。実際、メ... ...続きを見る

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2010/07/26 08:44
<道>
日本においては、精神的な自己鍛錬を要するあらゆるジャンルにおいて「道」の名がつく。武道然り、茶道においてまた然り。それらは求道者の営みであり、最後にたどり着く場所もまた等しいに違いない。たどりつく場所とは真理そのものではないだろうか。 ...続きを見る

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2010/07/16 18:28
<進化論の不思議>
動植物を問わず、全ての生命に意識が宿るのはいうまでもなく、我々が認識できぬだけで、実は無生物と呼ばれるモノにすら意識の宿りがあると私は信じる。 それらの本質は輪廻転生を繰り返しながらも皆等しく神への道のりを歩む神の化身であり、本来、優劣も上下もない。それが、無限存在としてあらゆる生命が平等であるということだと私は思う。 一方、相対世界に生きる有限存在としては、歴然とした優劣なり格の違いなりが存在するものだ。ただ、そのような価値観は結局のところ分離意識の産物に過ぎず、我々が不可分の一体であると... ...続きを見る

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2010/07/06 19:07
<実在と偶然>
果たしてこの世に偶然はあるのだろうか。 悠久の時間に都合の良い偶然を見出そうとするのが進化論である。 だが、偶然が存在するためには、実在は予め相互に関係することの不可能な分離状態になければならない。実在が不可分の一体であるとき、この世に一切の偶然はなくなってしまう。 ...続きを見る

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2010/07/05 17:31
<不二一元は哲学にあらず>
実在はその全てが一体であり、不可分であるという悟りは、長い間、ごく一部の聖者にとっては偽らざる真理ではあったものの、多くの凡人にとっては単なる哲学に過ぎなかった(科学的根拠をもたなかった)。 ところが、現代物理学の最高峰である量子論の登場によって、状況は一変することになる。 ...続きを見る

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2010/07/05 12:47
<乞食>
足るを知る者こそ、この世で最高の資産家である。 それを知らずしていくら財を築こうとも、その本質は永遠に乞食のままである。 書店には乞食たちの自慢話の数々がところ狭しと並んでいる。 本当の私が求めるものとは何なのか。 そもそも、私とは誰のことなのか。 乞食の話からそれを悟れるだろうか。 乞食のあふれるこの時代、乞食の話が売れるのは当たり前なのかも知れない。 ...続きを見る

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2010/06/24 08:07
<求める心と求めぬ心>
知識は無知の一形態に過ぎない。 成功を求める人は後を絶たないが、その成功が何を意味するものであるかに思いの及ぶ人は少ない。 求める心には際限がなく、次々と得ても満たされぬことを人は悟る。 次々と失ってみてはじめて、何を求めるべきかを人は悟る。 意識の浅い領域が求めるものと、深い領域が求めるものとの埋めがたい乖離は人を苦しめずにはおかない。 すでに満たされていたことに気づくとき、解脱のときは近いのかも知れない。 求める心と求めぬ心。 どちらを求めるも自由である。 ...続きを見る

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2010/06/23 03:20
<時間と意識>
時間とは何を意味するコトバなのだろう。アインシュタインの相対性理論によれば、時間の流れ方は相対的であり、我々の実感とはかけはなれて時間が存在することが示されている。時間と空間とは不可分であるため、我々の世界は三次元空間に時間という一次元を加えた四次元時空として表現されるのだそうだ。 ...続きを見る

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2010/06/20 18:14
<庶民感覚というより、愚民感覚>
来月から中国人観光客へのビザ発給条件が大幅緩和される。これで日本の治安がいっそう悪化することは避けられまい。観光客として日本に乗り込み、そのまま失踪してしまうケースに歯止めをかけることが難しいからだ。これまでは法務省がこの緩和に難色を示してきたのに、民主党になってあっさり大幅緩和となってしまった。 ...続きを見る

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2010/06/07 12:25
<鳩山氏辞任>
次々と自民党出身の首相が短期でその職を辞していたころ、これに対して鳩山氏が何とコメントしていたのかが思い出される。そして氏は今回、かつて己がなしたのと同じ裁きと批判を自らが浴びることとなったわけだ。これぞまさに因果応報である。 ...続きを見る

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2010/06/07 12:25
<管理の結末>
あまたある新興宗教、カルト宗教の類においては、組織を守るべく神経過敏にして排他的かつ狭量な様を見かけることもしばしばである。 それらは往々にして組織の利益という有限な存在を失うことに対する恐れに基づいている。 しかしながら、“真理”と主張するものを説く一方で、狭量と排他性をむき出しにせざるを得ぬその様には、随分と滑稽な感が否めない。 ...続きを見る

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2010/06/03 12:38
<意識の科学―追記>
アインシュタインの特殊相対性理論によれば、宇宙においては光速を超えて情報のやりとりが行われることはないのだという。光同士の相対速度においてすら、光速を超えることがないという摩訶不思議―それは光速度不変の原理と呼ばれるが、これには我々の意識のありようが深く関係しているのかも知れない。 ...続きを見る

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2010/05/26 08:05
<意識の科学>
量子物理学における波の収縮に対し、フォン・ノイマンらは観測という人間の意識の介在がそれを引き起こすと考えたようだが、コペンハーゲン解釈では人間の意識の介在とは無関係に、電子の波がマクロな物体と相互作用することで収縮が起きるとする。 けれども、マクロな物体との相互作用の痕跡も、人間によって観測されなければないも同じであり、やはり観測主体の意識の介在が不可欠であるだろう。 つまり、“シュレーディンガーの猫”にあるような複数の状態の共存が実在するのではないかということだ。 ...続きを見る

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2010/05/20 08:47
<意識という「場」>
私はシャンカラ哲学の語る不二一元の教えに真理を見出しているが、私自身には学者のような知識があるわけではない。私の苦悩をよく納得せしめる真理がそれであったというに過ぎない。この意味では、私の理解が本当にシャンカラ哲学と同じものであるかどうかも定かではない。誰かに説明する際に比較的たとえ易いというだけだ。 シャンカラの語る不二一元は仏法の色心不二、あるいは色則是空空即是色といった卓見に通じることだろう。目に見える物質と目にはみえぬ我々の意識とは一体であるという意味だ。 ...続きを見る

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2010/05/02 09:52
<教育民営化について思うこと>
ほんの少し前、郵政民営化で世間が騒がしかったころ、改革推進派の意見はこうであった。 「政治が良くならないのは族議員が悪いからだ。だから、こいつらを退治するためには郵政民営化によってその財源を断つことが必要なのだ」 世に広く知られた郵政民営化の大義名分である。 一方で、郵政民営化は次のようにも評されていた。 「米蔵に潜んだ鼠を退治するために米蔵に火を放つようなものだ」と。 当時も、そして今も、後者の意見にこそ理が宿ると小生は愚考する。 ...続きを見る

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2010/04/29 22:02
<ハートのリレー>
宗教的希求に応える信仰と、宗教そのものとは似て非なるものだ。ゆえに、宗教に関する知識と理解がいかにあったとしても、このテーマを教えるにあたっては、ハートを欠いた講師は適切ではない。ハートを欠いた講師とは、例えるなら無神論を信仰する宗教学者がそれにあたるだろう。 ...続きを見る

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2010/04/27 14:37
<ハート>
教育とは、それが国の与えるものであれ、親の与えるものであれ、それを与えられる個人が健全なる自己実現を果たすための“血の通った”ツールである。ゆえに、そこには愛がなければならぬことだろう。親が異なることで与えられるツールが異なるというチャンスの不平等を是正するためには、公教育がそれに応えていくより他はない。 無論、完全なる平等など望めるはずもないが、チャンスの平等を保障することは国家の努力目標ではあり続けるだろう。それこそは国家の国民に対する愛だと思うからだ。 そしてその愛を受けて育つからこそ... ...続きを見る

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2010/04/24 08:55
<無神論という宗教>
神は人間のごとき知的高等動物が存在しなければ認知されぬ存在であり、人間の存在があって初めて存在可能な、いわば単なる概念に過ぎず、実在ではないという考え方は無神論者の多くが用いる典型的な主張の一つである。しかし、ここにも実は“信仰”が隠されている。 それがどのような信仰であるかといえば、即ち人間のような知的高等動物は、いわば進化の営みがもたらした偶然の所産に過ぎないという信仰である。 何故、人間のごとき神を認知する高等生物が生命進化の延長に存在するのか、進化の指向性、否、むしろ志向性というべき... ...続きを見る

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2010/04/18 14:05
<わがモットー>
その昔、我々が親しんだ幾多のアニメ作品には、差別用語をはじめとした不適切表現がちりばめられており、今日二度と地上波では放送ができないという。 正義と寛容は両立しがたく、現代はとかく正義ばかりがかまびすしい。 社会が男性原理から女性原理へと移行したと指摘されるようになって久しいが、こうした傾向はそのことと無関係ではないような気がするのは私だけだろうか。 もっとも、こんなことをいえば、世の女性たちから攻撃されるのを免れずにはおれぬやもしれぬ(笑)。 ...続きを見る

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2010/04/02 19:16
<教育と伝統>
今日巷にみられるような伝統軽視の潮流を生み出した原因こそは、戦後教育にあるといえるのではないだろうか。唯物的思考の伝授のみに偏った教育が施されるようになって既に半世紀以上が経過し、そのために伝統護持の観点で物事を考えることのできる世代が著しく後退してしまったがゆえの惨状というわけだ。伝統軽視は精神性の軽視に他ならない。子供たちの心の荒廃が進み、その育成の必要が叫ばれるようになって久しいが、その原因の一つが、こうした伝統軽視にあったのではないだろうか。 ...続きを見る

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2010/03/31 18:05
<頑張らないということ>
うつになる人、ならぬ人の違いは、一つには自分自身に対してどれだけ寛容になれるか否かであろう。 完璧を求める生き方は人を苦しめずにはおかないものだ。100点の努力を目指して頑張るのはよいが、70点でもよいと思える寛容さこそ、努力を続けられる秘訣である。人生は短いようで長く、長いようで短い。しゃかりきになって頑張る時期とそうでない時期があってよいのである。肝心なことは、頑張りすぎて虚脱してしまわぬことではないだろうか。つなぎの余力を残せるように頑張り、あとは頑張らなくてよいというスタンスがなければ... ...続きを見る

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2010/03/28 14:01
<頑張るということ>
誰かを尊敬する、あるいは尊敬できるようになるためには、己自身が相手と等質の何かを備えていなければならない。人生に全く共通部分を持たない相手に対して、その肩書きをみて凄いと思うことはあっても、尊敬することなどできはしないものだからだ。実のところ、相手を尊敬できるようになるために必要な共通部分は、「頑張る」ことでしか得られないのではないだろうか。己自身に頑張った何かがなければ、頑張って何かを成し遂げた誰かを尊敬することなどできようはずもなく、それは即ち己自身を敬うことのできる人間だけが、誰かを本当に... ...続きを見る

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2010/03/28 01:19
<勇気と寛容>
現代の世の中はとかく狭量になりがちで、他人の失言や失敗ばかりを非難する風潮がある。 だが、失敗を恐れぬ勇気は、他人の失敗を容認できる寛容と思いやりなくしては決して育たぬことだろう。 他人に対する非難の矛先は、いつの間にか己自身に向けられているものだ。 誰かや何かを赦さぬ気持ちは、結局、自分自身を苦しめることになるのである。 逆に、他人を赦す寛容の精神は、知らぬ間に己の勇気を育んでいることに気付けるだろう。 寛容と思いやりがあってはじめて、真実の勇気が育つのだ。 真実の勇気が育つとき、... ...続きを見る

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2010/03/28 01:01
<何をやりたいかではなく、何ができるか−追記−>
根拠なき幼児的万能感と決別できぬ若者を量産する原因は、やはり教育にあると考えられる。しかし、単にゆとり教育が悪いというわけではないかもしれない。 努力しても報われるとは限らないのだから、あくせく努力しなくても良い、努力するのは格好悪いという社会的風潮が教育現場を汚染しているのではないだろうか。 実際、努力なんてしなくてよいというメッセージほど受け容れられやすいという社会現象があり、そういう本が売れているという。けれども、これは大変危険なことだ。 ...続きを見る

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2010/03/20 08:38
<教育と信仰>
教育を語る際に宗教の話を持ち出すのは控えるべきだという考え方は、教育現場に宗教はふさわしくないという考え方とともに、偏狭な思い込みの一つに過ぎないと私は思う。そもそも、人は何のために生きるのかという真摯な問いかけは、人間のみが持つ崇高な宗教的希求であり、個々の宗教は各々、その希求に対して応えるべく先人たちが多大な犠牲を払って設けた霊性の道である。人は何かを信じることなしには生きられない。人生を納得させる道理こそが信仰である。 ...続きを見る

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2010/03/03 11:51
<何をやりたいかではなく、何ができるか>
巷には、自分が何をやりたいのかわからない若者が増えているという。自分は何をするために生まれてきたのかわからないというのだ。それはまた、ころころと職場を短期間で変える若者の常套句でもあるようだ。 しかし、それが二十歳を過ぎた若者であるなら、何をやりたいかではなくて、何ができるかを考える方が賢明であろうし、30歳を過ぎていれば、自分がどうやって生きて行くのかを考えることの方が切実だろう。 ...続きを見る

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2010/03/01 18:39
<敵>
我々を攻撃してくる敵の中に神の姿を見出せる者の解脱は近いのかも知れない。 そもそも、敵とは過去の己の姿そのものであり、自らの悪しきカルマを運んできた神の御使いに他ならない。 ゆえに敵に感謝し、敵との出会いを内省の好機となし、瞑想によって神に憩うならば、その日は遠くないに違いない。 ...続きを見る

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2010/02/18 11:08
<運命と自由意志>
因果応報、輪廻転生の法則に従い、人生のグランドデザインは過去世のカルマによってある程度決まっていると私は思う。それが運命と呼ばれるものである一方、これはまた人生の岐路における種々の選択によって新たに築かれてもいるだろう。即ち、我々の想いと選択が自身の経験する新しい世界を瞬時に創り出しているということだ。過去の想いと選択が現在を創り出してはいるものの、未来は未だ不確定で現在の想いと選択によっていくらでも変わり得るという意味である。 そして、決まってしまっているかのごとく見える運命を自在に操る鍵こ... ...続きを見る

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2010/02/15 09:15
<ある作家にあてた手紙>
前略 ご多忙中にもかかわらず、ご丁寧なお返事、誠にありがとうございました。 松井選手が中学以来、人の悪口を言ったことがないというのは、本当に驚くべきことです。簡単そうにみえて実はこうしたことがもっとも難しく、自分自身と交わしたささやかな約束をこつこつと守れる人だけが、あのような高みに己を押し上げることができるのでしょう。神に至れるか否かも、同じことではないかと思われますが、私のような凡夫にとっては困難な課題です(笑)。 ...続きを見る

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2010/02/09 17:07
<勇気とともに>
時々、日本という国はもっとも社会主義の成功した国であるなどと指摘されることがある。国民皆保険はその最たるものであり、わが国の誇りといえるだろう。私自身は共産社会主義の何たるかに詳しいわけではないが、列国でそれらが残虐性をむき出しにして滅びていったのに対し、日本でそれが馴染んでいるように見えるのは、そこにハートがあるからではないかと考えている。 ...続きを見る

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2009/12/10 09:00
<不二一元論>
神とは何ぞや。それは我々自身のことである。我々の存在それ自体、神であるという己の素性を忘れた神そのものであるというのが、不二一元の教えなのだ。 ゆえに、我々が神への道を粛々と歩むのは責務の故ではない。はじめからそのように意図された自分探しの遊戯であるというだけだ。遊んでいるのは我々自身であるという意味である。従って、人間が神の遊びのための道具であるなどという解釈は成り立たない。そのような誤解は神と己との分離感に由来しているのではないだろうか。自らの外側に神を見出そうとする限り、決してこの真理を... ...続きを見る

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2009/12/10 08:58
<真理の行方>
旧約、新約ともに、開祖の教えを正確に伝えることには失敗しているといえるだろう。コーランにしても同じことである。その時々の世情により、教えは伝える者によって歪められてきたからだ。 しかし、ハートで神をとらえる者にとって、新約の神にせよ、旧約の神にせよ、あるいはイスラムの神にせよ、そこに普遍的な慈愛の神を見出すのは難しいことではない。聖賢たちの教えが混乱しているように見えるのは、彼らが混乱しているからではなく、その教えを受け止める側の混乱によるのではないだろうか。 聖者の教えは、もとを正せば... ...続きを見る

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2009/12/10 08:56
<ヤクザ国家の末路>
既存の核保有国はヤクザ国家に相違ない。日本もまた米国の核の傘に依存した段階から退廃への道を歩み始めたヤクザ国家の出来損ないだ。ただ、憲法九条ゆえにヤクザにもなりきれず、かといって堅気にもなりきれぬ半端者といえるだろう。同じヤクザの土俵に立っているから、どれほど国際貢献に尽力しても存在感を誇示できず、ゆえに自前の核を希求せずにはおれないのである。米国による核の傘を離れ、それでもなお核を持たぬ信念を貫くなら、日本は世界で最も誇り高く、気高い仕事をなしうることだろう。そのような国はいかなる恫喝にも屈す... ...続きを見る

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2009/12/05 11:58
<現実的な選択>
核抑止は核武装によって敵に対し核による報復を恐れさせ、その使用を躊躇させることを目的とし、ゆえにその使用は“絶対ない”ということを前提とした単なる理屈に過ぎないものである。しかし、核による先制攻撃がないという信仰の担保はどこにもない。むしろ、歴史的には使用の前科があるくらいだ。つまり、核抑止もまた、何の根拠もないただの信仰、それも極めて悪質なカルト教の教義に過ぎないのである。 それがカルト教である証拠に、信者の多くは核による先制攻撃の可能性を一顧だにできずにいる。それは思考停止以外の何ものでも... ...続きを見る

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2009/12/05 11:42
<病の根>
病とは不調和の結実である。 それは自然に、ひいては神に仇成す行いが生ぜしめる幻ではないだろうか。 肉体は神殿であり、神殿を汚せば不調和が生まれる。 清いものを食べ、清い空気を吸い、思いと行いを正すことだ。 そして神に憩い、調和を取り戻すならば、それを退けることができるだろう。 この病んだ世界を変容せしめる手立ては調和の復興をおいて他にはない。 恐れる必要はないのだ。 全ては神の計画なのだから。 ...続きを見る

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2009/11/21 12:40
<鏡>
殺めることでどれだけ多くの苦しみを生み出すことになるかを知らぬ人々が、人を殺め、己を殺めて憚ることがない。 だが、自らが己の外側に与えたものは、時を越え、いずれ己自身がその全てを受け取ることになるのである。 なぜなら外側だと思っていたものは、その全てが己自身であるからだ。 しからば我々は誰に核の矛先を向けようというのだろうか。 核によって立つ者が何ゆえ核によって滅びるのか、智恵ある者だけが悟れることだろう。 ...続きを見る

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2009/11/20 17:25
<覚醒の時>
人を救うのは信仰であって、宗教ではない。 真理に組織は不要である。 組織が真理を必要とするだけだ。 だから同志たちよ。 組織を冠する者たちには気をつけよ。 神は真理を求める者に物質的な何かを要求することは決してない。 求める者には必ずチャンスが与えられるのだ。 ただ、そのチャンスに気付けるか否かである。 ...続きを見る

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2009/11/15 22:49
<エゴの統御とあるべき姿>
利己心というエゴは、生命の本質的な衝動であり、これを完全に排除してしまおうとするなら、死ぬしかない。食欲ですら、別の命の犠牲を強いることなしにそれを満たすことはできない。生きるということそれ自体がエゴの主張に他ならず、エゴの否定は生命性の否定につながるのだ。従って、エゴは排除するものでなく、これを統べるものであると私は思う。 ...続きを見る

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2009/11/09 00:29
<ある無神論者にあてた手紙−その2−不二一元汎神論>
小生は神の何たるかについて、既に重要な見解を示しています。それは、他ならぬ我々自身が、神であるという己の素性を忘れた神そのものであるということです。 ゆえに、我々が神への道を粛々と歩むのは責務の故ではありません。はじめからそのように意図された自分探しの遊戯であるというだけです。遊んでいるのは我々自身であるという意味です。従って、人間が神の遊びのための道具であるなどという解釈は成り立ちません。そのような誤解は神と己との分離感に由来しているのではないでしょうか。自らの外側に神を見出そうとする限り、... ...続きを見る

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2009/10/31 22:36
<無限存在と輪廻転生>
10カラットのダイヤも100カラットのダイヤも、炭素の塊であることに変わりがないのと同じように、苦しみ、悲しみにどれほど高値を付けてみたところで、それらが有限なものを失うところから派生した幻であることに変わりはない。なぜ幻であるかといえば、それは我々の本質が輪廻転生を繰り返す無限存在であるからだ。 ...続きを見る

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2009/10/31 22:02
<ある無神論者にあてた手紙>
旧約、新約ともに、開祖の教えを正確に伝えることには失敗しているといえるでしょう。コーランにしても同じことです。その時々の世情により、教えは伝える者によって歪められてきたからです。 しかし、ハートで神をとらえる者にとって、新約の神にせよ、旧約の神にせよ、あるいはイスラムの神にせよ、そこに普遍的な慈愛の神を見出すのは難しいことではありません。聖賢たちの教えが混乱しているように見えるのは、彼らが混乱しているからではなく、その教えを受け止める側の混乱によるのではないでしょうか。 聖者の教えは、もとを... ...続きを見る

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2009/10/31 20:52
<神の恩寵と因果応報>
多くの善男善女が、これほど多くの苦しむ人々、非業の死を遂げる無念の人々を前にしながら、どうして神は何もしてくれないのかと無邪気に尋ねる。 ...続きを見る

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2009/10/31 20:48
<神はハートにあり>
神という呼び名を目にすると、これを「理解」するために多くの人はあれこれと既存の知識をたどろうとする。つまり、己の外側に神を見出そうとするわけだ。けれども、ハートのスイッチを切った学者や思想家、あるいはその真似をする者たちがいかに頭をひねってみたところで神にたどり着けるはずもなく、往々にして“神は人間が方便としてつくり出した概念に過ぎないもの”という結論に達してしまう。こうなると、ほとんどの探究者は伝えられる概念の相違点ばかりが気になって、神の普遍性に思いが及ばなくなってしまうようだ。 ...続きを見る

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2009/10/31 20:37
<神性と獣性>
死にいたる老人が自宅で息を引き取ることがほとんどなくなってしまった昨今、現代日本人の多くが死を身近に目撃することがなくなってしまった。このため、半ば盲目的に死を恐れる人々が巷にはあふれかえっているように見える。 しかし、死よりも恐ろしい、むごたらしい生などいくらでもあるというのに、死ばかりを恐れるのはナンセンスだ。 死は神の与え給うた救済の一つだと私は思う。目に見える命の営みにばかりとらわれていると、命より大切なものの存在を見失ってしまうのではないだろうか。命より大切なもの、それは人としての... ...続きを見る

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2009/10/31 19:30
<教育民営化には大反対−その2−>
確かに、教育を小規模化していくことによって生じるメリットを理解することはできるが、ここでもう一つ考えねばならないのは、そのデメリットだ。教育を小規模化すれば、一定の生徒数に対し、それにふさわしい技量を備えた優れた教師がより多く必要になる。実際、生徒数が少なければ少ないほど、生徒は教師の人格からより強い影響を受けることになる。さすれば塾講師の選別、監督、指導をどのように行うのか。人材の供給に関する問題を避けて通ることはできない。 ...続きを見る

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2009/10/18 18:25
<教育民営化には大反対>
昨今の教育事情にみられる問題点を解決するため、教育もまた民営化すべきだという意見があるが、教育に市場原理を導入すべきという意見には大反対だ。教育の民営化は、医療の民営化、軍事の民営化と同等の最悪の選択であり、国家の国民に対する愛の枯渇、国民に対する責任放棄の一つである。 確かに、経済発展のためには、ある程度市場原理を導入して適者生存を促す必要がある。そして、その結果生じるのが貧富の差だ。しかし、この貧富の差が、将来を担う子供たちの教育を受ける機会に影響するのは、国家にとって大変な損失につながる... ...続きを見る

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2009/10/15 11:40
<派遣業の本質−その4−教育>
誤解を招かぬために加えるならば、私のいう安易に職をかえる人々とは、職を変えざるを得なかった人々のことを指すのでは決してない。職を変えざるを得ない場合は仕方のないことだ。けれども、同じことが何度も繰り返されるというのであれば、それは職を選択する側にも問題があるといわねばなるまい。失職は交通事故のようなものかもしれないが、それに何度も遭遇する人々にはそれなりの原因があるものだ。 ...続きを見る

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2009/10/13 21:41
<派遣業の本質−その3−ビジョン>
派遣業とは他人の儲けを掠め取る奴隷産業である。これを合法化してしまったことが問題には違いないが、では、何ゆえそれが急速に日本社会を席捲してしまったのかを考えねばなるまい。 転職は労働者にとって当然の権利であると誰もが考えている。しかし、多くの経営者にとって、即戦力にならない新規採用者に支払う賃金は労働の対価ではなく、将来への投資なのだ。ところが、ころころと職を変える労働者はそのような経営者の思惑などまるで意に介すことなく、経営者がやっと投資を回収できるという段になって自分本位に辞めてしまう。に... ...続きを見る

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2009/10/13 21:36
<派遣業の本質−その2−天は自ら助くる者を助く>
確かに、今現在派遣社員をしている者にとって派遣業の問題は死活問題だろうが、派遣業といっても日本社会の体質に馴染まなければいずれは消え行くもの、あるいは自然縮小するものである。ゆえに、日本の伝統文化に則った社会の体質改善こそ急務ではないだろうか。そもそも、派遣で食べているオレ様の結婚を誰かなんとかしてくれというのではお話にならないし、派遣社員は結婚できなくてかわいそうだからなんとかしてあげなければというお話ならそんな偽善につきあう気など小生にはない。 ...続きを見る

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2009/10/13 19:28
<日本の精神文化が世界を救う>
先ごろの国連の核廃絶を目指す決議など茶番に過ぎまい。核を持っている国々、核に頼る国々がいくら核をなくそうと叫んだところでナンセンスだからだ。核に頼らぬ外交と国防を成し遂げた国の首脳にしか核廃絶を叫ぶ資格はないことだろう。 結局、核廃絶はそれに頼らぬ個人のハートがまずありき、その延長に国が、そして世界があるのでなければ成し遂げることはできない。いかなる理屈を用いようと、核抑止の延長に核廃絶など有り得ない。 ...続きを見る

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2009/10/07 08:52
<日米安保に思う 再編集版>
日本の核武装を唱える理由に、北朝鮮の脅威を掲げる御仁は多い。しかし、目下、それが現実的な脅威であると納得できる根拠にお目にかかったことがない。 かの国のミサイル発射実験にしたところで、ヤクザの恫喝と大差ない瀬戸際外交のなせる業ではないかと思われてしまう。 そもそも、かの国がかろうじて生きながらえているのは、朝鮮総連を通じて日本から巨額の“支援”が行き渡っているからではないだろうか。その日本を核攻撃して彼らに利するものがあるとは到底思えない。ゆえに、どれほど多くのミサイルがわが国に向けて並べら... ...続きを見る

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2009/10/07 08:24
<伝統精神と核武装>
確かに、報復に対する恐怖が戦争を抑止するという核抑止論に一定の理はあることだろう。しかし、問題はそのようにしてつくられた均衡が破られないという保障があるのかということだ。それはちょっとしたミステイクの重なりで生じる可能性があり、その場合の被害の大きさは一つの文明圏、あるいは文化圏にとって致命傷になりかねない。 核兵器が安価になれば、不特定多数のカルト集団にまで行きわたってしまうことも考えられるだろう。集団が小規模になればなるほど、核攻撃を受けた場合、報復のチャンスも少なくなってしまうので、逆に... ...続きを見る

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2009/10/07 06:22
<ある核武装論者にあてた手紙−その3−>
既存の核保有国はヤクザ国家に相違ありません。核に依存する韓国もまた弱小ヤクザ国家です。おっしゃるように、日本もまた米国の核の傘に依存した段階から退廃への道を歩み始めたヤクザ国家の出来損ないです。ただ、憲法9条ゆえにヤクザにもなりきれず、かといって堅気にもなりきれぬ半端者です。同じヤクザの土俵に立っているから、どれほど国際貢献に尽力しても存在感を誇示できず、ゆえに自前の核を希求せずにはおれないのです。 ...続きを見る

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2009/10/06 22:41
<ある核武装論者にあてた手紙−その2−>
今ある日本は過去の思いの結実です。非核の決意、不戦の決意は伝統的な武人の誇りがそうさせたものだと私は解釈します。 ...続きを見る

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2009/10/06 22:35
<ある核武装論者にあてた手紙>
核抑止は核武装によって敵に対し核による報復を恐れさせ、その使用を躊躇させることを目的とし、ゆえにその使用は“絶対ない”ということを前提とした単なる理屈に過ぎないものです。しかし、核による先制攻撃がないという信仰の担保はどこにもありません。むしろ、歴史的には使用の前科があるくらいです。 つまり、核抑止もまた、何の根拠もないただの信仰、それも極めて悪質なカルト教の教義に過ぎないのではないでしょうか。 それがカルト教である証拠に、信者の多くは核による先制攻撃の可能性を一顧だにできずにいます。それは... ...続きを見る

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2009/10/06 22:17
<誇り高く生きよう、喜びにあふれ>
私の先輩医師が、医師会報に寄稿した提言より引用させていただきます。 ...続きを見る

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2009/10/06 22:15
<武人の心>
核は、いかなる理屈を用いようとも、誇り高き武人の持つべき道具たりえない。核に頼る精神性の退廃を容認して国を残そうとしたところで、それはもはや形骸に過ぎまい。だが、武器を持つことそれ自体に反対するつもりはない。戦うことを否定したりなぞしない。ゆえに、核の否定は国防の否定では断じてない。護ろうとしているものの違いが手段を選ばせるだけである。 ...続きを見る

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2009/10/06 20:07
<希望>
おおよそ、始まりを迎えたものの中で終わりを迎えなかったものはない。 人の命は勿論、国にしたところで同じこと。 かつて滅びの時を迎えることのなかった国は一つとしてない。 ゆえに今ある国もまた、永続することは決してない。 ...続きを見る

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2009/10/06 17:10
<再臨>
キリスト教は、究極的には救世主の再臨を約束する教えである。しかしながら、そもそもたった一人の超人が地上に出現したところで、この混沌として複雑極まりない世界が救われることなどあるだろうか。 ...続きを見る

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2009/10/06 12:59
<核に頼るということ>
過去、二度の世界大戦を通じ、世界は総力戦の恐ろしさ、悲惨さを体験した。総力戦になれば、ルール無用、民間人を標的にすることも全く躊躇されない。 そもそも、ルール無用の喧嘩には勝ち方がある。それはつまり、金的蹴り、目潰し、頚椎への攻撃、関節破壊を躊躇なく行い、相手を不具不能にすることだ。あるいは、拳銃や刃物など、相手が所持していない武器を用いるのもよい。要は卑劣な手段を用いた方が優勢となるのだ。 だが、伝統的な日本人はそのような手段にうったえる相手を指して卑怯者と呼ぶ。 ルール無用の戦いにおい... ...続きを見る

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2009/09/27 19:48
<ある友人の話−追記>
民族や文化が異なっても、人類共通の伝統的な正義というものがどこかにあるのかもしれない。ただ、日本の中だけにいれば、その正義と出会う機会は極めて少ないことだろう。私の友人の得た満足感は、そうした稀有な機会に恵まれたことに由来するのではないだろうか。そして、人類共通の正義があるからこそ、核兵器を民間人の頭上に投じた米国の所業の邪悪さをあらゆる国の人々が認識したのだ。ゆえに、覇権国家の民でありながら、米国人の多くが、海外渡航の際、身の安全のために度々国籍を偽る必要があるのだろう。 ...続きを見る

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2009/08/21 08:43
<咎むることなかれ>
人を咎めぬ生き方を志すならば、まず己自身を咎めぬ生き方を志すことだ。 自らを戒め、他人を咎めずに生きようとしても、不必要に苦しまねばならぬことだろう。 なぜなら、人は自他を問わず過ちを犯す生き物で、誰かや何かを傷つけずにはおれないからだ。 ...続きを見る

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2009/06/30 08:49
<祈り>
職業柄、人から様々に悩みを打ち明けられることがあるが、そのような悩みに対して私からの助言はすこぶるシンプルなものである。 ...続きを見る

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2009/06/17 19:02
<ある中学校の先生にあてた手紙>
拝啓 天高く馬肥ゆる秋の季節となりました。 先日は生徒様から丁寧なお礼のお手紙をありがとうございました。文面から精一杯の誠意が伝わってまいりました。お若い生徒諸君に接して、私自身の中学時代を振り返る好機となり、懐かしい気分に浸ることができました。 生徒様方には、思いつくまま、勝手な話ばかりしてしまいましたが、人の意見は十人十色であり、私の愚見もまた、数あるものの見方の一つに過ぎません。しかしながら、そうしたものの見方の一つは、ときに人生をすら変えてしまうことがあります。 そこで、僭越ながら... ...続きを見る

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2008/10/10 11:49
<秋葉原の事件に思うこと>
秋葉原の事件を通し、絶望的な境遇に追いやられた孤独な若者たちの実態が暴かれることとなった。事件の犯人が抱えていた苦悩に共感する若者が多いという事実は、同種の事件が同じような若者によって今後も引き起こされる可能性を示唆しており、社会に多大な不安を与えている。 彼らの多くは、自分の置かれた境遇の責任を、その全てではないにせよ、社会という漠然とした対象になすりつけて憚ることがない。しかし、彼らがどういった経緯でそうした状況に追い込まれたかを詳細に知れば知るほど、いささか厳しいようだが、私には自業自得... ...続きを見る

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2008/06/29 22:57
<あるべき姿とあるがまま>
人の霊的進化の過程は千差万別で、各々がどういう段階にあるかを、外側から誰かが客観的に評価する(裁く)ことなどできはしない。ただ、人が皆、神への道のりを粛々と歩み続ける無限存在であるという見解の前にあっては、自分自身を含め、誰かを裁く必要はないというのが「あるがまま」の思想である。 けれども、それは裁判所や警察署が必要ないということでは決してない。人が皆、神の化身であるという信仰が劣勢の社会にあっては、我と人、それとあれは全てが有限存在として別のものであり、誰かが誰かを裁かねば、社会に秩序という... ...続きを見る

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2008/05/14 19:16
<心と痛み>
外来をやっていて感じることは、医者ならば誰もがそうなのかも知れないが、人の心と体は実によく相関しているということである。心の状態一つで、病は良くもなれば悪くもなる。特に、痛みについては本人の性格や、抱える心的ストレスが大きく影響しているのは間違いない。痛みは脳が感知する電気的信号であるため、脳のコンディションがその痛みを増幅もすれば軽減もする。それには間脳とよばれる部分が深く関わっており、心的ストレスが増大すれば痛みを感じやすくなることが明らかにされている。その上、長期間痛みが持続すると、障害部... ...続きを見る

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2008/04/24 12:44
<「あるがまま」と開き直り>
有限存在として生きる人間は、その根底に、生命の本質である利己心=エゴを抱えている。一方、無限存在である神、愛そのものである神が、己の何たるかを知るための客体として、有限存在に化身したのが人であるならば、我々の霊的本質は愛に他なるまい。利己心と愛とは、性質上、全く相反するため、人はもともとエゴと愛との葛藤を抱える矛盾した存在であるということができるだろう。 ...続きを見る

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2008/04/23 09:16
<愛と正義>
怒りの裏側には正義がある。正義は、それに背くものを決して赦そうとはしないものだ。人は正義を背負い続ける限り、その正義によって自らも裁かれ、苦しまねばならぬことだろう。 ...続きを見る

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2008/04/21 08:59
<数ある意見のその一つ>
何かを絶対だと信じて盲従するのは、自ら考えるという自由を放棄してしまうことだ。だから、たとえ神との間でなされた対話であっても、相手の言葉を吟味する姿勢を忘れたくはないものだ。考える自由を放棄するとき、人はたやすく権威に服従し、気がつけば自分以外の何者かに操られていることだろう。 ...続きを見る

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2008/04/12 10:06
<オリンピック>
オリンピックの聖火リレーが相次いで支障を来たしている。これは、中国の外交政策、チベット侵略と民族弾圧に対する抗議によるものだ。何が起きて何が問題なのか、全く知らない御仁も未だにいるようだが、今回の騒動は、そのような世事に疎い方であっても、事実を知る好機であるのは間違いない。 ...続きを見る

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2008/04/10 09:53
<正義と神と>
神には正義がないといえば、多くの人は困惑せずにはいられぬことだろう。だが、唯一の存在にとっては、自分以外の何者かに主張すべき正義などはじめから無いのである。だから、有限存在として、自他を区別する分離意識の下で生きる我々には、神が何もしないでいるようにみえてしまう。しかしながら、正義といわれるものは、一なるものが多様性を獲得することではじめて存在するものなのだ。全てが一体であるという真理にたどり着くとき、正義は消滅を余儀なくされると私は思う。 もっとも、それは個々が己の正義を捨てよという意味では... ...続きを見る

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2008/04/06 23:14
<神について思うこと>
宇宙には明白な秩序がある。混沌を無限時間放置してみたところで、意思の働かぬところに秩序が生まれ、それが続くことはない。故に、今、ここに秩序があるという事実を以って、この有限にみえる世界には何かの智性、何かの意思が働いていると悟ることができるだろう。そして、生命進化の極みとして人間が在り、これが宇宙を認知することで宇宙は生き生きと存在を始め、また神を想うことで、神は存在を始めたといえる。神を想う客体としての人間の存在が、何にも増して神が存在する有力な証であるというわけだ。これは人間原理という考え方... ...続きを見る

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2008/04/06 21:12
<神は沈黙せず>
多くの人は、何ゆえこの世に実在する諸々の不幸や不運に神が救いの手を差し伸べてくれないのか、あるいは最初から神が介入してそのような事態を回避してくれないのかと素朴に考える。だから、何もしようとしない神がいるのではなくて、目には見えぬところで悪魔と神が闘っていると考える人がいたり、あるいは、神の不在を信じたりする人がいる。 ...続きを見る

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2008/04/04 14:39
<障害を持つということ>
障害を持つことの意義を、私のように障害をもたない者が軽々しく語ることは憚られる。しかし、障害を抱えねばわからない真実、味わうことのできない感慨があるということは誰にでも想像できることではないだろうか。障害を持って生まれる、あるいは身体の十分な機能を人生の途中で失うということが、霊的本質の選択でないとどうして断言できるだろうか。因のあるところに結果があり、そのような環境で学ぶことを選択した霊的本質の存在を抜きにしては、運命の必然を悟ることはできないのではないだろうか。 ...続きを見る

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2008/04/02 19:02
<選択と味わい>
人生の味わいの中には、受け容れがたいものも含まれる。すでに味わいつくしてわかってしまったことを再び味わう必要はない。その意味で有限存在としての人間には間違った選択、正しい選択があるといえるのだが、無限である霊的存在の視点では、全てが味わいで、そこに正誤はないのかも知れない。しかしながら、霊的存在として、その進化、神化を促すのに好ましい選択と好ましからざる選択はあるに違いない。 ...続きを見る

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2008/04/02 12:42
<床屋談義>
床屋の主人 「どうも僕は自分のことが好きになれないんですよ〜」 私 「ん〜、それって誰にでもよくある感覚なんでしょうけど、もとはといえば自分の正義感が自分自身を追い詰めつめちゃってるってこともあるような気がするんですよね〜」 主人 「そうなんですかね〜」 私 「正義感ってやつは、正義に背く輩を赦せないんですよ〜。ウルトラマンが正義に背く怪獣にはめちゃめちゃ残酷になれるようにね。んでもってその残酷さってのは、他人に対してだけじゃなく、自分に対しても発揮されちゃうんですよ。たいていは、... ...続きを見る

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2008/03/31 00:18
<全てはあるがままに>
私はこれまで、いかに生きるべきかというテーマを追い求めてきた。しかし、いつしか私は、生き方に「あるべき」姿などないのかもしれないと思うようになっていた。いかように生きるも霊的存在として完璧に自由であり、人はただ、己の選択に応じた人生に遭遇するだけであると。そして、人生を味わいつくすことで、進化、神化するのだと。 ...続きを見る

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2008/03/28 16:55
<統べるということ>
有限存在としての特質であるエゴ。これが節度を失ったとき、人の世の不幸と苦悩が生じるのは間違いない。では、エゴは個々が抑制すべきものなのだろうか。人の感情は抑えつけてしまうのが正しいあり方なのだろうか。私はそれを問い続けた。その結果、エゴは抑制すべきものにあらず、統べるものであると気づいたのだ。 ...続きを見る

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2008/03/28 08:53
<誇るということ>
何かを誇るということは、他者と己とを比較する意識の産物である。それは有限存在として自他を区別する分離意識に他ならず、エゴの一側面である。 無限存在としての視点に立てば、自他の区別は消滅し、そこに何かを誇る意識も霧散してしまう。残るのはただ愛だけなのかも知れない。 ...続きを見る

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2008/03/24 11:04
<犠牲とは>
犠牲は、結果であると同時に因である。 因となった犠牲は、栄光と至福を約束するのかも知れない。 そこにはいかなる悲惨も苦悩もない。 犠牲は子であり、親である。 ただそれだけのことだ。 当然のことだが、イエスはそのことをよくわかっていたのではないだろうか。 ...続きを見る

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2008/03/23 23:40
<苦しみの値札>
己の苦労や悲しみを誇りに変えて生きる人にとって、その苦労を大したことではないと誰かにいわれてしまうのは受け容れがたいことだ。そんなことをいわれようものなら、お前に何がわかるのかと食ってかかりたくなるのも当然だ。 実際、輪廻転生や因果応報を認めてしまうことは己の苦労の価値を損ねてしまうことになるかもしれない。 ...続きを見る

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2008/03/21 17:44
<エゴイスト>
私はかつて、拙著「眠れぬ夜に思うこと」で、人が生きていく上では、無償の愛そのものである神の反対性質となるエゴと葛藤を演じるのが人間であると論じ、エゴの抑制を説いた。だが、これはそれに続く「目覚めの朝に思うこと」で、間違いであることを認めざるを得なかった。エゴは抑制すべきものではなく、統べるものであると気づいたからだ。しかしながら、どうエゴを統べるのかについて、明確には語れぬままであった。 ...続きを見る

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2008/03/18 11:43
<正義と寛容>
正義と寛容は両立しがたい。正義に生きれば、正義を損ねる者を赦すことはできなくなる。人は己の正義を振りかざして誰かを攻撃する。正義を背負っている人は、それを損ねる相手に対し、実に容赦がなく、簡単に残酷になれる。芸能人の発言にいちいち文句を垂れねば気が済まぬ方々もまた、自身の正義に忠実なだけである。発言に影響力のある芸能人が不用意な発言を行うのはけしからんという正義である。 一方、寛容であることを正義とすれば、狭量は悪だが、寛容を旨とする限り、それもまた受容せざるを得なくなる。寛容はエゴの受け皿で... ...続きを見る

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2008/03/15 13:09
<わからぬ人々>
先日、ある人の誘いで、ものみの塔の元信者が集う掲示板におじゃまする機会があった。彼らは自分たちがカルト宗教の洗脳から解かれた目覚めたる人で、洗脳に関してはそれぞれが「わかっている人」であると自負する方々であった。 ...続きを見る

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2008/03/12 08:43
<納得させるもの>
自分のおかれた状況に納得し、どうして自分より不幸せな人がいるのか、あるいはどうして自分より幸せな人がいるのかを納得している人にとって、一切の不安はない。たとえば、努力によって人生を築いてきたと納得する人にとっては、努力こそが不安を退ける術となる。 ...続きを見る

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2008/03/10 19:24
<わかるということ>
わかるということはどういうことだろうか。国語の長文読解よろしく簡潔に文章をまとめさえすれば、その筆者の思いをわかったといってしまって良いのだろうか。特に、人の生き方に関わる見解を目の当たりにしたとき、その文章の意味を理解したからといって、それを「わかっていることだ」などと簡単に言ってしまってよいのだろうか。 いうことをきかぬ相手、自分の意に沿わぬ相手を指して、「傲慢だ」などと軽々しく人を裁く人が、「人を裁くなかれという至言は知っている」といっても、本当にわかっているのだろうかと首をかしげてしま... ...続きを見る

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2008/03/09 23:33
<苦しみの記憶(再編集版)>
有限存在としての私には、他人様のの苦しみはこれっぽっちもわからない。というより、人の苦しみは、それぞれが、その人にしかわからぬ尊い学びであり、わかっていると思うのも、わかってもらっていると思うのも錯覚に過ぎないと私は思う。 だから、他人の営みに有益なアドバイスを送ることなど私にはできない。 ...続きを見る

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2008/03/09 21:26
<ある医師の無念>
これは、あるサイトからの引用である。精神科医による、キリスト教系宗教、ものみの塔の経験談だ。 ...続きを見る

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2008/03/08 02:11
<ある求道者にあてた手紙>
生まれ変わりがあるのかないのか、実のところ、それはどちらでも良いことなのかもしれません。生まれ変わりがあると信じることで人生を納得して生きることができる人にとって、生まれ変わりはあるのです。ないと思うことで人生に納得できる人にとっては、ないのです。 輪廻転生は、あると思うことで人生を納得できる人にとってのみ、あるというだけです。 ...続きを見る

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2008/03/07 16:01
<権威と宗教>
この人のいうことをきいてついていけば安心だと信じるとき、人はその相手に権威を感じている。権威とは、いうことをきく力であり、安心を与えてくれる存在には、皆、自らいうことをきいてしまうものだ。同じように、宗教は、生ける人間に安心を与えて惹きつける。安心を売るために人を不安にさせる宗教は巧妙だ。こうしなければ地獄に落ちると脅して不安に陥れた後、入信すれば救われると安心を与えるからだ。 ...続きを見る

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2008/03/06 00:55
<運命と選択>
人の運命は、やはり、その人自身が決めている。 それは簡単な試みによっても悟ることができる。 しからば、誕生の環境は誰が決めているのだろうか。 それもやはり、自分が決めているに違いない。 それは遠い過去世の選択の結果ではないだろうか。 我々は選択の瞬間に、その結果となる世界を創造するようにできているのかも知れない。 その選択にはいかなる責任もなく、罪もない。良いも悪いもない。完全なる自由である。 そこから、私たちは自らが創造した、たった一つの世界をみることになるのだと私は思う。 ...続きを見る

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2008/03/06 00:31
<ナザレのイエス>
ナザレのイエスは、「私はあなた方を愛する」と最期まで言い続けながら、彼を理解しようとしない人々によって陥れられ、愛し合ったはずの人々に守られることなく、愛する人々によって殺されてしまった人である。 イエスについて、人はそれぞれに勝手な幻想をいだく。 もし、自分がイエスと同時代に生きて、彼と言葉をかわすことができていたらどうであっただろうかと素朴に想いを募らせる。 しかし、多くの人は、自分こそが、その時代、彼を殺したのかも知れぬ可能性については、全く思いが及ばない。 ...続きを見る

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2008/03/06 00:29
<臨死体験>
立花隆著「臨死体験」上下巻を読了した。臨死体験には共通した一定のプロセスがあり、この体験を経ると、多くの人は死に対する否定的な感情がなくなり、死を肯定的に受容できるようになるとともに、自身の霊性と信仰心に目覚めるという。立花氏は、これを脳内現象説と、現実体験説の二つの解釈が成り立つことを論じ、肉体から遊離した魂の現実体験であるという後者の説に対し、巻末で疑問点を明示した。これに対し、私的に返答を試みる。 ...続きを見る

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2008/02/21 12:41
<失言>
「倖田來未、テレビに緊急出演&謝罪」という記事を目にした。何でも、この若い芸能人がラジオ番組で「35歳を過ぎた女性の羊水は腐る」と発言したものに対して非難が殺到し、この失言に対して、本人がテレビで涙ながらに詫びたのだという。彼女に限らず、最近では女子プロゴルファーの上田桃子の失言をめぐってブログが炎上したなどという記事も目にした。 ...続きを見る

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2008/02/08 13:06
<信仰と宗教(再編集版)>
先日、外来患者様のお一人から突然、「私はエホバの者です。エホバはご存知でしょうか?」と切り出され、面食らいながら頷くと、「是非、先生のような方に一度お話をきいていただきたいのですが。」などといわれてしまった。 お相手は初老の紳士で、下肢に障害をかかえる奥様とともにリハビリ通院されている。 “先生のような方”というのがどういう意味なのかわからないが、何やら見込まれてしまった様子。 ...続きを見る

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2008/02/02 10:19
<遊戯>
もともと唯一にして無限である存在が、己の何たるかを知るため、存在の意味を知るために、有限にふるまうこの世界を創り出したのだと古の教えはいう。 その世界で人はエゴを携え、無限存在としての愛を有することで葛藤を余儀なくされた。 エゴとは生命の本質であり、他者との分離意識から派生する有限存在の特質である。 あらゆる苦しみ、悲しみは、全て有限なものを失うところから生じるのであり、エゴの産物である。 ならば、人がその本質において無限であるという真理を思い出すところから、それらは幻と消える定めにある... ...続きを見る

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2008/01/28 12:17
<ALL OK!>
「私」のみる世界とは「私」そのものかもしれない。 であるなら、今ある「私」を心から愛せるようになったとき、初めて「私」は変わるのかもしれない。 変わら「ねばならない」と思うとき、そこには必ず良い悪いの相対性がある。 この相対性から離れるとき、全ての変容が自然に訪れるのではないだろうか。 ...続きを見る

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2008/01/28 12:13
<霊性>
人は生まれながらにして皆不平等である。視覚障害者には絵画を鑑賞する自由はないし、聴覚障害者には音楽を楽しむ自由がない。つまり、自然が我々に不平等を与え、これをゆるしているのだ。 にもかかわらず、自由、平等、博愛を正義の根幹に据え置く人々は、そうした不平等を無理やり正そうとし、目に見える命の序列を否定して憚らない。 ...続きを見る

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2008/01/16 02:10
<有限な命、無限の命>
私が命について考えるようになったのは、幼き日のある夕べの食卓における出来事がきっかけだった。その日、目の前に出された皿の上には焼きたらこが乗っていたが、母は、それを「お魚の卵よ。粒のひとつひとつがお魚一匹一匹になるはずだったの。」などと、こともなげに言い放ったのだ。 私は強い衝撃を受けた。たった一度の食事のために犠牲にされた命の数々。その罪の大きさを感じ、ただでさえ食べるのが苦手だった私は、さらに食べるのが厭になり、やせ細ってはホネカワスジエモンなどと祖父に揶揄される始末だった。 小学校に入... ...続きを見る

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2008/01/16 01:48
<孤独>
宗教に魅入られる方が入信する動機とは何であろう。大体、なぜ信仰に垣根を有する組織が必要なのだろうか。 個々の信者が入信した動機をたどっていけば、それは人それぞれだ。生きる目的を求めてそこに入信する、あるいは、現世的な何がしかのご利益を求めて入信するというのが、ありふれた理由だろう。現実生活に耐え難い苦痛を味わうことにより、救いを求めて宗教に向かうというのもよくある話だ。 無論、親が信者であることで、信者であるのが当たり前というケースもあるに違いない。古代の宗教には病気癒しを求める人々が殺到し... ...続きを見る

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2008/01/16 01:15
<聖書解釈>
聖書を解釈する際に肝心なのは、自己の内面と深く向き合うという姿勢を忘れぬことだ。その内容を見つめる自分という観測者、主観のありようについての深遠な洞察が不可欠であり、誰かの解釈を鵜呑みにするのは危険である。なぜなら、聖書解釈には、よくも悪くも、解釈した人間の内面が映し出されてしまうからだ。 ...続きを見る

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2008/01/16 01:12
<文科省の愚策>
43年ぶりに行われた全国学力テストの結果につき、文科省は全体の結果や都道府県ごとの結果は公表するが、市町村別、学校別の平均点などは「序列化や過度の競争につながる」ため非公表としているそうだ。 まったく馬鹿げた話である。文科省がこれだから、学校教育は改善されないと実感される。学校も、市町村も、自分たちが提供している教育の実体を直視すべきである。己の立ち位置を知らねば、問題点を明らかにできないし、改善もないというのは、個々の児童に限った話ではない。 確かに、序列化や競争においては下位にいる者が不... ...続きを見る

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2007/09/21 08:25
<法曹界の常識を問う>
山口県母子殺害事件では、被告を弁護した21人の弁護士に対し、世間の批判が殺到した。一方で、この21人は弁護士としての責務を全うしただけで、何ら批判される落ち度はないという意見もある。 確かに、21人の仕事は法的には間違っていない。被告を弁護するのは当然の仕事である。けれども、その延長上に死者の尊厳が冒涜されている現状がある。これは何かがおかしい。法曹界の常識によって導き出される結論に、違和感を覚えずにはいられない。 もし、結論にあやまりがあるのだとすれば、それは前提条件、原理原則にあやまりが... ...続きを見る

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2007/08/28 12:44
<嫁と姑―正義の衝突>
正義は、時代背景や文化的背景によっても異なる。 堺屋太一氏は、その著書「東大講義録」において、戦前の正義は「勤勉」、「忠勇」であるのに対し、戦後の正義は「安全」、「効率」、「平等」であると指摘した。 同書によれば、「忠勇」を正義とした戦前、「安全」や「平和」は必ずしも正義ではなかったという。戦前の社会、徴兵のあった時代では、戦争が危険だからといって回避されるようなことがあってはならない。「忠勇」の前にあっては、安全は二の次だったわけである。 「楽しみ」が正義であるような文化圏では、そのため... ...続きを見る

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2007/08/10 09:15
<嫁と姑、その終わりなき戦い>
人は皆、自分は常識的だと思っている。しかし、この常識というものほど、独りよがりな価値観はない。通常、個々の常識は家庭内の躾と学校教育によって培われるが、社会にでてから学ぶ常識も多い。そういう数多くの常識が習合して渾然一体となり、常識という名の価値観が醸成される。したがって、個々の常識はそれまでの経験から幾重にもバイアスがかかり、われわれが皆で共有していると信じる常識というのは単なる思い込みに過ぎず、実際にはばらばらだ。にもかかわらず、これを盾にするとき、人はいとも簡単に他者に対して残酷になれる。... ...続きを見る

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2007/07/26 11:37
<智恵の浅い専門家>
自由を叫ぶだけで、責任を負わぬ民主主義者が国を荒廃させる。 チャンスの平等でなく、結果の平等を主張する教育専門家が公教育を堕落させる。 義務を顧みぬ輩に、権利だけを認める司法の専門家が治安を悪化させる。 ...続きを見る

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2007/07/19 10:43
<不安の解消法>
多くの場合、不安というのは、何かを失うことへの恐怖である。 それは名誉かもしれないし、健康かもしれないし、女性ならば美貌であるのかもしれない。 目に見える財産をたくさん所有している人ほど、それらを失う局面に際しては不安が大きくなることだろう。 しかしながら、人間、いつかは命まで失って逝かねばならぬ定めにあり、失うことを恐れてばかりいては、不安から開放されることがなくなってしまう。 逆に、もてるものを次々と手放せば、たちまち不安は軽減される。 命を手放せば死を恐れる必要すらない。 もて... ...続きを見る

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2007/06/18 11:31
<親の躾、親に躾>
ニュース番組をみればこそ、知りたくもない報道を目にしてしまうので、最近ではテレビや新聞に目を通すことも少なくなってきた。にもかかわらず、またもやろくでもないニュースを知る羽目になってしまった。尼崎で小4男子児童が同じく小4女子児童に集団で性的暴行を加えたというものだ。 ...続きを見る

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2007/04/04 13:22
<ステップアップに必要なもの>
人生においては、幾度となく苦境に立たされる場面に遭遇することがある。そうした場面で逃げを打てば、当座をしのぐことはできたとしても、ほどなく同じ問題と向き合わざるを得なくなるものである。だが、それも学びのチャンスかもしれない。 ...続きを見る

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2007/03/29 19:26
<二種類の人間>
「世の中には二種類の人間がいる。ひとつは、何かの壁につきあたったとき、できない理由ばかりを探してあきらめてしまう人間。もうひとつは、できる方法を探して挑戦する人間。」 某テレビ番組で俳優・石田純一氏が行ったコメントだが、いたく感銘を受けた。彼自身の私生活は決してほめられたものではないかもしれないが、百鬼夜行の芸能界で長らく頂上を生き抜いている男の言葉として納得できた。 勝敗を競うスポーツに取り組む者だけに限らず、社会を生き抜く者にとってこの上なく重要なコトバだ。 ...続きを見る

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2006/09/29 11:13
<亀田興毅、疑惑の判定勝利>
8月2日、WBA世界ライトフライ級王座決定戦「亀田興毅対フアン・ランダエタ」戦が行われ、判定の結果、亀田氏が勝利した。しかし、放映終了後からこの判定結果に対してTBSに抗議が殺到しているのだという。 ...続きを見る

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2006/08/04 08:29
<妄想>
私たちは同一の世界を共有しているのではない。 存在を認知する客体の持つ主観を超えて認識される世界などありえず、個々の存在がそれぞれ固有にして別々の宇宙に住んでいるといってよい。 一見、それぞれが同じ世界にいるようでも、同じ世界であるという保証はどこにもない。日常の出来事については個体間の記憶にあいまいさが生じ、住む国が異なれば歴史認識に相違が生じる。 万人が共有する真実などありえず、真実のようにみえるもの、ふるまうものも無数の可能性のひとつにすぎない。 ...続きを見る

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2006/06/07 16:58
<世界にひとつだけの花症候群>
オープンして間もないお気に入りの焼肉店の店員にはハンサムで愛想がよく、しかもよく気がきくお兄ちゃんがいて、妻にも私にも好評だった。けれども、もうすぐやめるのだという。やめる理由はといえば、通っている専門学校を終えるので、しばらくゆっくりしたいからということのようだった。この専門学校というのが板前さんになるための学校なのだそうだが、よくよく聞いてみると、板前も向いてないから、これにもなるつもりはないのだそうだ。では今後どうするのかといえば、どうするあてもないという。 同じ世代のある若い女の子は、... ...続きを見る

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2006/05/26 11:56
<続・美容外科小話>
<美容外科小話>のオチを読まれた方々の中には、結婚相手が整形美女であっても、一向に差し支えないという奇特な御仁も少なくないことだろう。 実のところ、カツオもそうであった。美しければ、人造美人であれ、天然美人であれ、さしたる違いはない。それは養殖マグロと天然マグロの違いのようなものだと考えたわけである。 かくしてカツオはめでたくこの美人と結婚することとなった。万々歳。 ...続きを見る

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2006/05/12 08:44
<美容外科小話>
カツコは22歳。お世辞にも美人とはいえぬ。もっとも、それはカツコの生きる時代での美的基準においてそうであるというだけの話であり、平安時代であれば絶世の美女であったかも知れぬ。しかし、それは屁理屈。彼女はまぎれもない不細工であった。 同じ学歴、同じ年恰好であれば、就職は勿論、結婚にいたるまで、より美しい者が得をするに決まっている。その時代で美しいに越したことはないのである。 カツコは現実主義者であったため、こうした社会的事実から自分をごまかして生きようとは思わなかった。即ち、迷わず美容外科のご... ...続きを見る

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2006/05/11 11:31
<富の格差>
人口に関係した調べ物をしている最中、噂にきく書き込みを発見した。 ...続きを見る

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2006/02/10 16:19
<ご身内を亡くしたある男性にあてた手紙>
書き込みを拝見し、何をどうコメントすべきか思案するうち、今日にいたりました。 本来ならば沈黙すべきところなのかも知れませんが、若輩が薀蓄をたれるご無礼をお許しください。 ...続きを見る

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2005/12/06 13:52
<救済>
心を病んでいる人には、ある共通した傾向がみられることがある。 彼らの多くは己の置かれた職場環境や家庭環境など、周囲に対する不満を述べ立てて、いかに自分が可哀相であるかを切々と訴え続けてはばかることがない。 こういう人は他人からの助言に対してもまるで聞く耳を持たず、まるで壊れたレコードのように、己の置かれた理不尽な立場や不遇に関する説明を繰り返すばかりだ。 ...続きを見る

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2005/11/29 15:16
<死ぬ権利>
今日、医療費の高騰、とりわけ老人医療費の見直しがマスコミで取り上げられることが多くなっている。それに伴い、国が死ぬ権利を認めてくれることを希求する声が巷に散見されるようになってきた。介護を受ける立場になって周囲に精神的、経済的負担をかける老人として生きることが、個人の尊厳を損なうというのだ。だから死ぬ権利を認めて欲しいという。 ...続きを見る

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2005/11/21 10:01
<失わぬもの>
現実の世では、何かを得たと思った瞬間、それをいつか失うことが運命付けられる。 人は誰であれ、その最期にはいかなる富も、命すらこの世に置いて逝かねばならない。 そのことを知れば、虚栄を求めて生きることの無意味さを悟ることができるだろう。 現世で得られる富は、それを目的にするのでなく、何に使えるのか、何のために使うのかを考えるべきである。 ただ生きるのに精一杯な場合もあるだろう。だが、それならば何のために生きるのか、生きて何をするのかを考えねばなるまい。 現世で得た富を死後に持ち越すことの... ...続きを見る

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2005/11/11 09:31
<自由と権利>
自由には責任が伴う。子供に自動車を運転する自由がないのは、事故を起こした場合に責任をとる能力がないからだ。 同じように、子供には性行為を営む自由もない。性行為の結果に対して責任を負うことができないからだ。 自由とは権利の行使に他ならないが、そこには必ず負うべき責任が伴うのであり、責任能力のないところに認められる自由などありはしない。 ...続きを見る

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2005/11/01 10:34
<たった一つの神様>
宗教に関連したイデオロギーのせめぎあいの原因を、一神教の発想に求める論考を目にすることがある。一神教は潜在的に排他性を有するために、争いを導くというものだ。 そうした論考では、日本のような多神教的発想の方が、争いを回避できて優れていると締めくくられることが多い。 しかしながら、問題があるのは「たった一つの神様」という発想ではなく、「私たちだけの神様」を皆が主張しあうことにあるのではないだろうか。 ...続きを見る

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2005/10/22 11:40
<忍耐と協調>
最近では、子育てのストレスに耐えられなくなった母親が、わが子を殺してしまうニュースもめずらしい話ではなくなった。 昔と比べ、母親に対して子育てのストレスが過度に加わる原因のひとつには、核家族化を挙げることができるだろう。 夜昼問わず泣きじゃくる乳飲み子によって睡眠を奪われ、何事につけ正常な判断が難しくなっている母親は、理不尽の塊と化してくるものだ。 こうしたストレスを緩和するためには、夫の協力が不可欠であるが、これが多忙であったり、子育てに非協力的であれば、核家族である以上、母親が際限なく... ...続きを見る

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2005/10/12 06:12
<日々是反省>
自己嫌悪と反省とは紙一重である。 もっとも、反省はポジティブな心の働きであるのに対し、自己嫌悪はネガティブな心の働きである。 両者の違いは、己自身に対する愛情と将来への展望の有無であろうか。 ...続きを見る

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2005/08/25 08:27
<心技体>
心技体とはよくいったもので、スポーツを極める上では、これらの要素を個別に認識して各々に気を配る必要がある。 これらのバランスが競技能力に反映すると考えられるからだ。 試合形式の練習のみでは競技力を向上させる効果に乏しいため、技術を磨くには的を絞った反復練習が必要であるし、肉体のスケールを向上させる場合でも同じように的を絞る必要がある。 例えば特定部位の筋力増強を図ったり、呼吸器系あるいは循環器系の機能向上を図ったりという具合に、目的に応じてトレーニングした方がより効果的な場合がある。 ... ...続きを見る

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2005/08/10 11:57
<正義と葛藤>
何かや誰かを正そうとしても、相手に挑発されて気分を荒らされるだけである。 荒れた気分で相手を正そうとしても、うまくいくものでは決してない。 荒れた気分は相手の気分をかき乱し、その相手の気分によって、さらに己が気分を荒らされることになるからだ。 怒気は怒気をとめどなく増幅させる。 ...続きを見る

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2005/07/19 00:54
<スターウォーズ・エピソード3>
スターウォーズ・エピソード3を観た。小学生の頃、第一作目にあたるエピソード4を劇場で観てから、長い間ファンを続けていた私にとっては、至福のひとときであった。 そして、作品は期待を裏切らぬ内容だった。 ヒトの葛藤を描くのは、ウケル作品をつくるためには欠かせぬ条件であると私は思う。 なぜなら、ヒトは誰しも葛藤を抱え込んだ存在であり、劇中の葛藤がわが身の葛藤におきかえられることで深い感動を味わうことができるからだ。 逆にいえば、どんなに手の込んだ作品も、葛藤がそこになければヒトは現実感を味わう... ...続きを見る

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2005/07/10 09:17
「「<宗教的希求>」について」について
「「<宗教的希求>」について」について TBありがとうございました。 人生に納得して生きるには、誰かや何かから頼りにされている、必要とされていると感じる必要があるのかもしれません。 これは、他者との相対的な関係形成によって己の価値を見出そうとする考え方です。 我々人間に普遍的な存在価値を認めない価値観のもとでは、こうした相対的な価値を求めずにはおれなくなるのでしょう。 そして、己が誰からも必要とされていないと悟ってしまった人間は、死を選択するのに躊躇しなくなってしまうかもしれません。 ... ...続きを見る

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2005/07/07 14:01
<制約と創造性>
何かを具体的に限定してしまうことは、そこに宿りうる創造性を奪ってしまうことのように思われがちだ。 しかし、何かを実現するためには、そこにエネルギーの集中が必要になってくるのであり、そのためには、具体的なビジョンやプランも必要である。 ...続きを見る

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2005/07/02 21:21
<楽とは>
何かを手に入れるためには何かを犠牲にしなければならない。 何かを得る傍らで何かを失い、何かを失う傍らで何かを得るのが人間なのだ。 こうした葛藤の狭間でヒトは苦しみを感じるのではないだろうか。 それゆえ、楽とは葛藤を感じないでいられる状態なのかもしれない。 何かの矛盾を抱えずにいられる状態だ。 ...続きを見る

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2005/06/30 17:29
<存在の認知>
何かの存在を認知するとはどういうことだろうか。 我々はそのための方法を五感に頼っている。 このため、五感を超えた存在を認知することはできない。 ...続きを見る

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2005/06/28 11:14
<ある有識者にあてた手紙>
我々は、いかなる理想を目の前で説かれても、現実の厳しさやおぞましさを直視したことのある人間であればあるほど、こうした理想を非現実と感じてしまうものです。 つまり、神を信じられなくなってしまうものなのです。 そうして、我々は神を失い、同時に愛を失う。 これこそ、愛の連鎖の対極に位置するもので、まさに、エゴの邪悪な側面がもたらした渇愛の連鎖であるといえます。 私には、私の主張を訝しみ、これを非現実的と指弾して憚らぬ方々が、エゴの連鎖に毒された虜囚に見えてしまうのです。 ...続きを見る

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2005/06/22 08:50
<ある母親にあてた手紙>
[ご子息が教師に恵まれず、また、落ち込むことが重なったせいで粗暴であるのだという。だが、原因は、本当に周囲ばかりにあるのだろうか。] ...続きを見る

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2005/06/22 08:48
<ある高校生にあてた手紙―恋と愛について>
[病床に伏す彼女をもつ一人の高校生が、校則に従って前髪を切った。彼女が長い前髪を好んでいたことを知っていた彼にとっては、苦渋の決断だったに違いない。結局、短く切った前髪を彼女に指摘され、それがきっかけで、別れてしまったという。彼は、その別れに悲嘆し、校則を恨んだが、果たして、別れの原因は、校則や、前髪にあったといえるのだろうか。] ...続きを見る

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2005/06/22 08:46
<約束>
ヤンキースの松井選手は、中学2年のときからヒトの悪口を言ったことがないという。 これをきいて、私は素直に感嘆してしまう。 なんだ、そんなこと、大したことじゃないといえる人生を歩んでおられる方を尊敬したい。 僕も今日からやってやると意気込む少年たちを応援したい。 ...続きを見る

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2005/06/21 06:42
<ラヴと超能力>
皮肉な話だが、現象面におけるマジシャンと超能力者との明らかな相違点は、後者のデモンストレーションの方が失敗する可能性が高いことにあるといえるかもしれない。 つまり、曲がらない可能性も低くないという事実が、超能力の実在に関する科学的立証を妨げている反面、手品との間に明白な一線を画しているということだ。 ...続きを見る

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2005/06/20 13:15
<スプーン曲げ>
大文字ナン氏より思いがけずコメントをいただいたhttp://www.doblog.com/weblog/myblog/29790/1496285#1496285ので、少しばかりコメントをしてみることにする。 ...続きを見る

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2005/06/17 15:00
<神の意識>
創造の意志あるいは意思の存在については、これをヒトの意志や意思のように擬人化して捉えるのでなく、むしろヒトの意識や万物の意識をこそ、擬神化して捉えるべきではないだろうか。 そうすれば、現象のはじめに超智性の介在があったかどうかを「わからない事象」に据え置く必要もなく、ただ神を感じさえすればそれで事足りるはずだ。 ...続きを見る

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2005/06/17 11:09
<偶然の所在>大文字ナン様へのお返事
丁寧なコメントありがとうございました。 ...続きを見る

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2005/06/14 17:11
<進化論と唯物論>大文字ナン様へのお返事 その4
お返事ありがとうございました。 ...続きを見る

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2005/06/13 10:08
<進化論と唯物論>大文字ナン様へのお返事 その3
再びお返事ありがとうございます。 ...続きを見る

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2005/06/12 13:10
<唯物論と進化論>大文字ナン様へのお返事 その2
>返事はSHOさんのペースで構いません。私にしても、いつでもネットで発言できるわけではありません。 ...続きを見る

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2005/06/10 20:07
<偶然の所在>
男性が女性にアプローチする場合、古典的な手段の一つに、偶然を装う手法がある。例えば、女性の行動にあわせ、偶然を装って行く先々に出没してみせるやり方だ。 これによって、女性に運命を感じさせることができれば儲けものだが、そこまでいかなくても、好意があることを示すことはできる。 もっとも、現代でこれをやればたちまちストーカーとみなされて嫌われてしまう場合もあるから、厄介な時代になってしまったといえるかもしれない。 ...続きを見る

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2005/06/10 12:58
<進化論と唯物論>大文字ナン様へのお返事 その1
お返事ありがとうございます。 また、お返事が遅くなって申し訳ありません。 ...続きを見る

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2005/06/10 11:47
<進化論と唯物論>
進化論とは、単に進化のプロセスを科学的に追究した結果に過ぎず、唯物論の正当性を証明した理論ではない。プロセスの根本的な要因が明らかになったわけではないのに、そこを明らかになったと勘違いしている御仁は少なくない。 生命に物理化学現象を引き起こしている根本原因、人の生死を分かつ根本原因についてまで、科学が解き明かしたわけではないのだ。 例えば人の意識。 唯物論者によれば、これは脳内の物理化学現象の結果であると断定される。ところが、この視点についていえば、何ら証明はなされていない。 証明されて... ...続きを見る

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2005/06/07 11:45
藤沢kazu様
コメントありがとうございました。 ...続きを見る

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2005/06/03 13:02
「「<超能力は実在するか?>」について」について
「「<超能力は実在するか?>」について」について TBありがとうございます。 これは私の憶測に過ぎませんが、超能力を研究していたかつての諸機関は、超能力のみを扱う特殊な機関としてではなく、在来科学を研究する機関の中に埋没していったのではないでしょうか。 つまり、うまく融合していったのではないかと。 ...続きを見る

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2005/06/02 10:19
<科学原理主義>
現象世界に横たわった諸法則を認識するための手段が、科学だけであると勘違いしている英才は少なくない。 科学は万人にとっての共通理解を深める上で多大なる功績を果たしてきたと彼らの多くが胸を張って主張する。 だが、果たしてそれらは本当に万人にとって事実足りえてきたのだろうか。 ...続きを見る

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2005/06/02 02:40
<超能力は実在するか?>
巷で議論になるテーマに、超常現象、とりわけ超能力現象の是非がある。この現象は果たして科学的に証明された事実なのだろうか。 科学的というからには、そもそも、我々のいう科学がどういうものであるかを考えねばなるまい。 私の知る限り、科学は、起こった現象に対し、その規則性や法則性を客観的に見出すことで、現象を論理的に把握することである。 ...続きを見る

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2005/05/30 15:34
「「<進化論と創造論>−神は存在するか?−」について」について
「「<進化論と創造論>−神は存在するか?−」について」について TBありがとうございました。 質問1について。 エントロピーの増大とは、簡単にいうと、時間経過にともなう複雑さの消失であるといえます。一方、エントロピーの減少とは、複雑さの増大です。 人間という生命は、極めて複雑なシステムをその生体内に宿しており、しかもそれらは、合目的的に機能しています。実際、人体の複雑精緻な様は、宇宙のそれを思わせるほどです。 それゆえ、人の存在はエントロピーの減少を表すものということができます。 ... ...続きを見る

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2005/05/30 12:28
<進化論と創造論>−神は存在するか?−
物理学には熱力学第二法則とよばれる法則がある。これはエントロピー増大の法則とよばれ、「形あるものは壊れる」あるいは「覆水盆にかえらず」を端的にあらわしている。 この法則は、物質とは、時間をかければかけるほど、どんどん意味をもたない均質な存在へと分解、拡散していくものだということを意味している。 タバコの煙で何かを造作した場合を想起すれば、理解は容易であろう。 ...続きを見る

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2005/05/29 20:51
<宗教的希求>
現世におけるあらゆる問題を考える際、それらを突き詰めると、そもそも、我々が何のために生きているのかという素朴な疑問にたどり着く。 ただ、この問いに対し答えを用意することはできても、それを客観的に証明することはできない。 そこで、唯物論者は、ものの考え方の基準に生きる目的をいわず、ただ、万人が生きるという目的を満たすべきという観点から物事を論じようとする。 ...続きを見る

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2005/05/25 07:36
「人工生命「ティエラ」」について
「人工生命「ティエラ」」について とても興味深い記事でした。 TBさせていただくことをご容赦下さい。 ...続きを見る

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2005/05/23 18:58
<自信と希望を無くしたある男性にあてた手紙>
希望とは何でしょうか。 あるとかないとかではなく、持つか持たないかの問題ではないでしょうか。 自分の価値は自分自身が決めるもの。 誰かや何かの評価で決まるものでは決してない。 確かなことは、今の自分をつくったものは過去の自分であり、未来の自分をつくるのは、今の自分であるということです。 自分で自分の価値をおとしめず、ただ、その真価を自覚することが大事なのではないでしょうか。 そうした自覚の上に地道な努力を積み上げることが、明日の自分を変容させることにつながるはずだと私は信じています。... ...続きを見る

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2005/05/20 11:29
<父親の不徳を嘆くある女性にあてた手紙>
確かに、我々は決して平等には生まれてきません。 尊敬できる親から愛されて育つ子供がいる一方、虐待されて殺されてしまう子供もいます。 もし、人が見た目で把握されるだけの存在なら、つまり、唯物論という宗教が正しい教えならば、己のしたいように生き、誰を不幸にしても憚らぬ利己的な人生を送った方が得というものです。 ...続きを見る

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2005/05/20 11:27
<ある東大生にあてた手紙>
[<悟性と共時性>について、自分にはそうした経験がないとの率直な否定意見が、ある東大生によってなされた] 貴兄のような反応を示される方は、決して少なくはないでしょう。 経験は、存在の数だけ多様である上、その解釈も多様であり、故に、そこに基づく悟性は絶対視できないとも申し上げているわけです。 けれども、私は一つ、貴兄に考えていただきたいことがございます。 人が、何かを「経験する」とはどういうことでしょうか。 例えば、私が一歳になる息子と同じ映画を観たとして、そこでなされる二人の経験は... ...続きを見る

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2005/05/20 11:17
<多様な価値観の容認とは>
個の価値観と行動規範の変容をうったえると、必ずといってよいほど返ってくる批判が、「思想の強制をするな」である。 確かに、我々には多様な価値観があり、そうした多様性を認めているがゆえに、互いが互いを滅ぼさぬことを前提とし、皆が「生きる」という共通目的を掲げて、法による利益分配の公平化を行うことを余儀なくされている。 ...続きを見る

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2005/05/19 17:42
<HOW?>
自殺にせよ他殺にせよ、環境の影響がいかにあったとしても、最終的に人を凶行に走らせるのは、行為者の行動規範と価値判断である。 責任の所在を環境要因にばかり求めるべきではない。 しかしながら、環境要因を無視してしまうことも、またできない。 それは、行為者の行動を後押しすることにもなるからだ。 ...続きを見る

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2005/05/18 10:20
「No.16<神の復権>」について
「No.16<神の復権>」について 人の霊性を顧みずに個々の行動規範を論じようとすれば、誰もが健康で幸福な最低限の生活を営むこと、つまり、生きるということを思索の根源にすえるしかあるまい。 だが、誰かが「生きること」を際限なく主張すれば、別の誰かの「生きること」を侵すことにもなりうるため、利益分配の公平化を図るのに法的規制が必要となる。 ...続きを見る

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2005/05/17 11:29
<報復死球の是非>
プロ野球では、報復死球なる愚行がまかり通っているようだ。 報復死球といえば、自身の哲学と相容れぬこの愚行をチームから強制され、悔し涙を流した上原投手(巨人)の姿が思い起こされる。当時、メイ球界のご意見番と称するお歴々の中には、報復死球も勝つためには止むを得ぬなどと主張する御仁もいた。 何でも、選手のモティベーションを上げるには必要だからというのがその理由なのだそうだ。 ...続きを見る

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2005/05/16 09:49
「N0.15<愛の復権>」について
「N0.15<愛の復権>」について 私は、節度を欠いた個々のエゴが社会を覆いつくすことで、世相に歪が生じていると推論している。 そして、このエゴとせめぎあう存在を、個々が育む誠の愛に見出しているわけである。 ...続きを見る

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2005/05/10 11:50
<運動部の後輩にあてた手紙>
競技の能力を決定する因子はどこにあるのだろう。 確かに、身体的な素因は大きく影響するだろう。しかし、高々医学部の大会ごときで、そこに大きな差が生じるとは思えない。 五輪選手を相手にするわけではないからだ。 ...続きを見る

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2005/05/09 10:06
「No.14<競技の心得>」について
「No.14<競技の心得>」について 際限なき競争というコトバの意味をあえて定義するなら、勝利に執着するあまり、ルールを破り、マナーを犯し、自己統御を逸脱して競争のための競争と成り果て、目的を見失った状態といえよう。 ...続きを見る

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2005/05/07 21:46
「No.13<競技と勝利>」について
「No.13<競技と勝利>」について 道徳の時間には、強欲を悪であると教えられることがあった。 だが、私は、そうした考え方に疑問を感じる。人の生きる原動力は執着や欲にあると思うからだ。 文明の進歩発展も、皆が楽をして生きたいという欲のもたらした結果であろう。 とすれば、欲が悪なのではなく、その欲がうまく昇華されるか否かが問題なのではないだろうか。 ...続きを見る

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2005/05/06 14:45
<私の立場>
こうして宗教や哲学を語っていると、どこかの宗教団体の関係者と誤解されてしまうこともあるかも知れないが、私は既存の宗教団体とは一切の関わりを持っていない。 また、特定の宗教を信奉してもいない。 ただ、人の霊性について、その思いを語っているだけであり、新たに宗教を始める気もさらさらない。 なぜなら、宗教という既存のスタイルそのものに限界を感じているからだ。 宗教は、宗教としての体をなしたその瞬間から、排他性という腐敗の芽を宿すものである。 ...続きを見る

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2005/05/06 11:02
「No.12<競技における勝敗の意味>」について
「No.12<競技における勝敗の意味>」について 競争を悪のごとくみたてて断罪してきた近年のゆとり教育や平等主義。 競争においては、勝者にしか得られるものがないという偏った価値観が、その根底にある。 ...続きを見る

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2005/05/06 02:18
「No.11<現代教育と資本主義>」について
「No.11<現代教育と資本主義>」について <誠の努力とは> どれほど競争否定の教育を行っても、社会は競争原理の働く資本主義体制下にある。平等などという幻想を植え付けられても、社会にでてしまえば、個々の社員から、個々の企業にいたるまで、明々白々たる格付けがあるものだ。 ...続きを見る

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2005/05/01 00:48
「No.9<全肯定と全否定>」について
「No.9<全肯定と全否定>」について <デジタル思考の罠> 今日、我々の思考には二極化の罠が忍び寄っている。物事を判断する場合、白か黒かしか問わず、金持ちと貧民、支配者と被支配者、敵、味方という風に、グレイゾーンをゆるさぬデジタル思考が全盛を極めつつあるようだ。 これは、丸バツの採点方式を採用するようになって久しい戦後教育のもたらした弊害であり、社会のいたるところで争いを激化、収拾不能にさせている遠因でもあるのではないだろうか。 ...続きを見る

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2005/04/29 23:56
<運命>
人の生き死には生まれる前から定まっているという。 人災に巻き込まれて死ぬも、天災に巻き込まれて死ぬも運命であり、本質的には違いがないのだそうだ。 人の誕生と死は、そのとき、その場所で、まさに起こるべくして起こるものであり、何ぴとも過去の因果から逃れる術はないのだという。 だが、愛する者の死に直面すれば、人災であれば誰かを、天災であれば神を恨まずにはおれなくなる。 誰かや何かに対する恨みを携えて生きるのはとても苦しいことだ。 その苦しみから逃れるためには、因果応報と輪廻転生の法則を実感す... ...続きを見る

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2005/04/28 22:32
「No.8<神とは> 」について
「No.8<神とは> 」について 自然界には、熱力学第二法則と呼ばれるエントロピー増大の法則が働いていると科学はいう。 その意味するところは「覆水盆に返らず」あるいは「形あるものは壊れる」であり、いかに複雑で意味あるシステムも、時間とともに崩壊に向かい、無意味な存在へと均質に広がっていくことを表している。 例えば、タバコの煙で何かを創造するようなもので、時間とともに、それらは形を失い、空間にひろがっていくことになる。 ...続きを見る

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2005/04/28 18:31
「No.7<神性の顕現>」について
「No.7<神性の顕現>」について 神の存在を、自分とは別個の存在として捉える思想には無理がある。身近に不幸を経験すれば、その存在を疑わざるを得なくなるからだ。 いくつかの宗教は、神が存在するのにもかかわらず、不幸や悪が現世に存在する理由を悪魔の存在に見出しているようだが、絶対悪の存在を確認できぬ以上、これにも無理があるといわねばなるまい。 第一、神が完全な存在なら、悪魔の存在そのものがジレンマとなるからだ。 一方、神を唯一絶対の存在ではなく、至高神と創造神とに分けることで、この世の不完... ...続きを見る

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2005/04/26 12:20
「No.6<エゴとは>」について
「No.6<エゴとは>」について エゴとは、利己心と、そこから派生する様々な欲望、感情の全てを指すコトバと定義する。 偏愛、執着、独善、嫉妬、排他性などがこれに相当する。 それらが節度を欠いて際限なく主張されるなら、それは悪となるのではないだろうか。 一方、エゴは生命活動の原動力でもあり、仏教哲学にみられるように、これを否定してしまって生きることはできない。 エゴを全否定するとは、死ねといっているようなものだからだ。 私たちは愛の力でエゴをよく御するよう定められた存在ではないだろうか... ...続きを見る

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2005/04/25 12:43
「No.5<愛とは>」について
「No.5<愛とは>」について 愛ということばは、頻繁に使われると、何だか陳腐にみえてしまう。 けれども、人のエゴが抑制を失って渦巻く現実世界にあっては、愛の力こそが、そうしたエゴを中和する特効薬になりうる。 ただ、愛はとても微妙なバランスを保っていなければ、偏愛や独善に陥ってしまい、何だかよくわからなくなってしまうことがある。 そこで、愛を定義してみたのがこの章である。 愛とは、相手を思いやる行為であり、相手の中に己と等質の神性を見出してこれを尊ぶ行為であると。 とすれば、愛を説く... ...続きを見る

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2005/04/24 20:53
「N0.4<悪とは>」について
「N0.4<悪とは>」について この世には、悪と呼べる純粋存在などなく、誰かや何かにとっての相対的な悪しか存在しないのではないかといわれることがある。 もっとも、連日のように人の悪行が報道される昨今、相対悪しか存在しないという考え方は、我々の日常感覚にそむくものであるようにも思える。 そこで、我々が感じる悪とはどういうものであるかをあらためて考察してみた。 すると、悪とは、誰かに精神的あるいは肉体的な苦痛を与えたり、有限な存在の持つ有限な権利を奪う所業であると定義できるかもしれないという... ...続きを見る

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2005/04/24 10:52
「No.3<生と死>−死すべからずの理由−」について
「No.3<生と死>−死すべからずの理由−」について この章は、後の<転生輪廻と因果応報>と対になっている。 我々の日常生活において、感性を深く研ぎ澄ますことができれば、因果応報の事実、即ち己の成した行いは良し悪しに関わらず、己自身に返ってくるという事実を直覚できるはずである。 しかしながら、この因果律が完全であるためには、人の営みが永続していなければならない。 そこから、霊的存在としての不生不滅、即ち転生輪廻の事実にたどり着くことができると愚考した。 もっとも、そうすると、今度は転生... ...続きを見る

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2005/04/24 09:56
「No.2<生命の本質>」について
「No.2<生命の本質>」について この章は、リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」を参考に、生命の本質について論じたものである。 人間に限らず、生き物は皆本質的に利己的、ワガママなんだといわれてしまうと、私たちがワガママなのは本能なんだから仕方ないとあきらめて、ワガママに生きる自分を肯定してしまいがちな結論にたどり着いてしまう危険がある。 けれども、ワガママが生き物の本能であっても、そう生きることが人の本分にかなっているのかどうかは別ではないかと考えた。 つまり、私たちは生まれなが... ...続きを見る

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2005/04/21 17:06
「No.1<リセット>」について
「「眠れぬ夜に思うこと」No.1<リセット>」について 拙著「眠れぬ夜に思うこと」については、内容が難解であるというご指摘をいただくことがある。そこで、一つ一つの章について、あらためて解説を加えてみようと思う。 No.1<リセット>の章については、以前、ある中学生にあてて、これを表現しなおしたことがあるため、それを転載してみる。 ...続きを見る

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2005/04/21 16:44
岩通信様
お返事ありがとうございます。 まず、私がどの程度創価学会の教義を理解あるいは評価しているのかという点について、貴兄は、「入り口で足踏み」という表現を再三使っておられますが、その根拠をお示しくださるでしょうか。 私はこれまで、一度も教義の是非について触れたことはないはずです。ただ、完全ではないと指摘しただけであり、それは創価学会に限ったものではなく、あらゆる宗教に対してそう判断しています。 僭越ながら、貴兄には、創価の教義を深く知れば、誰でもその真理に共鳴するはずだという思い込みがありはしな... ...続きを見る

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2005/04/18 18:18
岩通信様(再びお返事です)
岩通信様 再びお返事ありがとうございます。 貴兄は、創価学会の教えこそ宇宙の法則、即ち真理であり、他の宗教と一線を画すと主張なさっておられます。また、その根拠に、現状でみられる創価学会の隆盛を挙げておられます。 しかしながら、その隆盛は、自然に生じたものではなく、信者の拡大という目的意識の明確な布教活動、即ち折伏によって信者を広げた結果に過ぎません。よって、これをもって宇宙の法則と断定する理由にはなりえません。 また、既に創価学会以上に隆盛を極めている既存の諸宗教が真理足り得ないのなら、... ...続きを見る

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2005/04/18 13:59
岩通信様へ(お返事)
真摯なお返事と、お心遣いをありがとうございます。 ただ、論点がうまくかみ合っていないようです。 私はどんな宗教でも、あるいはどんな教義でも、無批判に受けいれるべきといっているわけではありません。 おっしゃるように、宗教と呼ぶにはあまりにずさんで悪質な団体も数多く存在します。しかしながら、少なからぬ人間が信奉する宗教にあっては、それがどんな宗教であっても、程度の差こそあれ、何らかの真理が宿っている可能性があると申し上げているだけです。そして同時に、誤りも多く含んでいると。 あらゆる宗教教義... ...続きを見る

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2005/04/16 18:23
岩通信様へ
お返事が遅くなって申し訳ありません。 >生命について語られている宗教においては、じっくり話し合って一致点を見つけて ...続きを見る

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2005/04/14 17:23
<制限>
映画やテレビなど、著作物を鑑賞する年齢の制限や、そこで行われる表現の制限を厳しく設けるべきか否かには議論の余地がある。 どういう情報を得ようとも、それによって善悪の価値判断がゆらぐわけではなく、問題は、育ち方が健全であるか否かといった個々の要因にあるのであって、情報自体に罪はないのだから、過剰な制限は不要であるという考え方が、制限不要派の論拠であるようだ。 しかしながら、与えられた情報が引き金となって罪を犯してしまう人間は厳然と存在している。 ...続きを見る

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2005/04/06 07:33
<毒饅頭>
いつの時代も、謀殺の基本は相手の好物に毒を混ぜることである。 一見したところ、共産主義は、弱者厚遇を謳い、万民は平等であるべきという民主主義的発想ともよく調和し、優れてみえる側面がないこともない。 つまり、見た目には美味しそうな饅頭のごとき外観を呈している。 ...続きを見る

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2005/04/06 07:27
<無智の功罪>
医者の無智は、直接患者の不利益につながってしまうという厳しい現実を抱えている。 このため、いくら慈悲深き医者を装ってみても、そこに智恵がなければ、患者にとっては迷惑なだけの存在である。 時として、無智はそれだけで重大な罪となりえてしまうのだ。 これは、何も医者に限ったことではないかもしれない。 人は常に学ばねばならぬ存在であるということだ。 ...続きを見る

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2005/04/06 07:24
終章<目覚めの朝に思うこと>
既存宗教の主だったものについては、いずれも病の癒しを民衆に施してきた医の宗教であったということができる。 また、その癒しによって信者を獲得してきたという見方もできるかもしれない。 病の癒しという観点では、医学の効能により、唯物論は他のいかなる宗教の追随もゆるさぬ際立った業績を積み上げてきたといってよいだろう。 それゆえ、今日、この霊験あらたかな現代宗教が隆盛を極めているのは、至極当然のことのようにも思える。 ...続きを見る

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2005/03/30 09:25
番外編No.8<裏話>
ある有名百貨店の社長から、こんな話を聴いたことがある。 「営業マンたるもの、もともと売れるものを売っても実力を示したことにはならない。売れぬものを売ることができるか否かで、営業マンとしての真価が問われるのだ」と。 私は商売を生業とする人間ではなかったため、そのコトバの意味を、それほど深く気に留めることはなかったのだが、最近になって、このコトバの重みが実感されるようになってきた。 ...続きを見る

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2005/03/26 01:05
番外編No.7<死刑の是非>
死刑制度は、罰則としてのみ存在しているわけではなく、新たな犯罪の犠牲者を生み出さないことを目的としてもいるのではないだろうか。 凶悪犯罪者の再犯率は極めて高いことが知られているからだ。 ...続きを見る

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2005/03/25 14:14
番外編No.6<ルールとマナー>
マナーとは礼節を意味すると一般的に考えられている。しかしながら、その意味するところは暗黙のルールでもある。もっとも、暗黙のルールとは、常識を異にする者同士の間では成立し難いものである。 因果応報の理、自分のしたことは、いつか自分にかえってくるという暗黙の了解、不文律があれば、滅多なことはできなくなる。 しかしながら、唯物論的価値観、理性偏重の価値基準では、そうした法則に確たる根拠を見出すことができない。 ...続きを見る

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2005/03/25 12:26
番外編No.5<情報統制>
つい最近、イラクでイタリアの報道関係者がアメリカ兵から誤射されたという報道があった。 両者の状況説明は明らかな食い違いを見せているが、アメリカ側の主張には矛盾が多く、旗色は悪い。 ...続きを見る

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2005/03/25 12:23
番外編No.4<UFOは着陸せず>
我々の意識に、何かのパラダイムシフトがもたらされるとして、それをいざなう可能性を、大々的な異星人の来訪に見出す幻想が巷にあるようだ。 だが、彼らが実在したとして、本当にそのような行いでもって、我々の意識改革を図ろうとするのだろうか。 ...続きを見る

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2005/03/25 12:22
番外編No.3<健全な食事>
複数のサプリメント内服は肝機能及び腎機能に悪影響があり、注意が必要だ。 また、人体には吸収した物質の成分から生じる影響を緩和しようとする働きがあり、サプリメントのような直接的な摂取は、時にそうした生体反応に対する危険を意味する。 ...続きを見る

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2005/03/25 12:21
番外編No.2<性と生>
性と生について語る場合、そのあるべき姿を論ずるのは、それほど難しくはない。 多人数との奔放な性交渉が性行為感染症という逃れようのない現実をたぐりよせるという事実は、そうした性のあり方、生き方が、我々人の本分にとって不適切であることを如実に物語っている。 まともな感性の持ち主ならば、ほかならぬ神が、そうした生き方を人間に望んでいないことが実感できるはずである。 既に述べたように、霊的自覚のないところに自由はない。 子供には自動車を運転する自由がないように、性行為を営む自由などありはしない。... ...続きを見る

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2005/03/25 12:20
続編No.69<奇跡の顕現>
奇跡とは、通常の常識では、起こることが考えられない好事を指すコトバだ。 だが、常識の罠、唯物論からの脱却が叶えば、奇跡は、奇跡でなくなることが自覚されるだろう。 今日、多くの奇跡が巷に起こっているが、それは神の自己主張であるのかも知れない。 何かの奇跡が生じる背景には、必ず意思と努力があるものだ。 それらは愛の顕現である。 闇夜が支配的になろうとする昨今、愛の顕現こそが切望される。 だが、奇跡は起こるべくして起こるものだ。 奇跡を導くのは、我々の清き思いと行い、そして祈りである。 ... ...続きを見る

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2005/03/25 12:18
番外編No.1<本分の違い>
拙著「眠れぬ夜に思うこと」では、男性の本分を自己犠牲に、そして女性の本分を献身に見出して論じてみた。 実はこの部分、表現するには過分に勇気が必要であった。 なぜなら、「男女同権」、「男女平等であるべき」を信奉するフェミニストや、それと気づかず彼らに毒された方々から攻撃を受ける表現であることは目に見えていたからだ。 どういう場面で男女同権、あるいは平等を主張するかという問題でもあるのだが、我々は霊的存在としてのみ同権であり、平等であるという観点を無視してこれらを主張するのは、社会に歪を生ぜし... ...続きを見る

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2005/03/25 12:18
続編No.68<霊性修行とは>
通常、我々の意識は、心として認識されうる顕在意識と、認識不能な潜在意識に分類できる。それは氷山のごとく、顕在意識の占める割合はわずかなものであり、そのほとんどが、水面下に沈んだ潜在意識であるという。 霊性の科学においては、こうした潜在意識によって、生命現象が営まれており、その最も深奥は神の意識に通じているといわれる。 霊性修行により、自己と他者との境界が不明瞭になると、通常認識しえない領域のことがらにまで、意識をめぐらせることができるようになってくるものらしい。 それは千里眼やテレパシーと... ...続きを見る

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2005/03/25 12:16
続編No.67<生命の意義>−生きる目的−
霊的自己に目覚めることを説きながら、リセットに際した現世における生命の危機を訴える私の主張に矛盾を感じる御仁もいるかもしれない。そこで、霊的生命と現世の生との関係、及びその意義を再び問い直してみようと思う。 ...続きを見る

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2005/03/25 12:15
続編No.66<リセットの真実>
リセットは確かに歴史の必然ではある。だが、それは必ずしも人の大量死を意味するものでは決してない。つまり、文明や文化、あるいは何かの価値観に生じるリセットが、即、人の大量死を意味するとは限らないということだ。 もっとも、人の意識が硬直化してしまった現状で、我々が文化、文明、あるいは何かの価値観に変容を迎えるとすれば、それはある種の大量死をきっかけにせざるを得まい。しかし、大量死によるのではなく、まず、人の意識のありように好ましい変容をもたらすことで、こうした犠牲は最小にとどめることができるかもし... ...続きを見る

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2005/03/25 12:14
続編No.65<ムチノチ>
自覚のないところに反省はない。 反省のないところに変容はない。 変容のないところに楽園は来ない。 智者とは己の愚を悟れる人のことである。 恥者とは己の愚を悟れぬ人のことである。 智者とは賢者を指し、恥者とは愚者を指すコトバだ。 科学の名において神を退け、幸福の名のもとに平等、自由、博愛を説く獣(=エゴの下僕)たちよ。その繁栄はやがて潰えることだろう。 人が己の真価に気づき、神性を取り戻す日は近いからだ。 ...続きを見る

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2005/03/25 12:13
続編No.64<賢者の政治>
理想社会を築くとはいっても、やはり、政治の責任は重大だ。しかしながら、多くの国々で、政治家たちは信用を失っている。 今日、知的ではあっても、智的でない人は意外に多い。この種の方々は自信満々で、いかなる場合であっても、自分が間違っているかもしれないなどとは考えない。 己の過ちに目を向けようとしない人は、知的であったとしても、智的では決してない。 今日、愚者が主流の社会構造が、民主主義によって衆愚政治を生み出しているといえるだろう。 では、理想政治が君主制や貴族政治にあるのかといえば、そうで... ...続きを見る

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2005/03/25 12:13
続編No.62<ある酒好きな男の話>
あるところに、酒好きの家系に生まれた無類の酒好きの男がいた。 男は、それはもう一日に浴びる程の酒を飲まずにはいられない。それが血だからだ。 けれども、あまりの酒好きのために、お酒にかかる費用が家計を圧迫しはじめていた。 しかも、病院の検査では、肝臓に問題がではじめているとのことだった。 彼は思った。このままでは家族も不幸にしてしまうし、自分の健康も危うい。なんとかせねば。しかし、酒好きはやめられない。 愛する妻と息子の顔が脳裏に浮かんだ。 妻は飲んだくれて帰ってくる夫のために、いつも... ...続きを見る

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2005/03/25 07:39
続編No.61<エゴの受け皿>
人の思いや行いについて、どこからどこまでがエゴであるというような、万人を納得させられる特定の線引きはできまい。どんなに注意したところで、己が認識できないエゴは残るのであり、だからこそ、過ちも犯すのが人間であると私は思う。 大切なのは、己が意識できる範囲内で、エゴのよき主人であれということだ。実際、エゴが強くなければ、大した事業を成し遂げることはできまい。巨大なるエゴを活力とする傍ら、それを御してこそ、そこに大きな成功が約束されるのではないだろうか。 ...続きを見る

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2005/03/25 07:37
続編No.60<お金はエゴの一側面>
現実社会で何かの思いを成し遂げるには、お金が必要だ。いかに雄大な展望を思い描いたところで、先立つものがなければ何もできない。従って、お金が悪というわけでもなく、富の集中が悪というわけでもないだろう。 問題は、持てる者が、そのお金で何を為そうと志すのかということではなかろうか。 自分のためだけに使うお金は「死に金」といって、循環しない、返ってこないお金のことを意味する。一方、「生き金」とは、循環し、場合によっては何倍にも膨れ上がって返ってくるお金のことを指す。「死に金」の意味するものはエゴであ... ...続きを見る

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2005/03/25 07:34
続編No.58<パラダイスのいざない>
人はパンのみにて生きるものではないが、パンがなければ、また生きることはできまい。世界の混迷は、石油資源をはじめ、有限なものを大勢で分かち合わねばならないことに起因しているといえるだろう。 ...続きを見る

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2005/03/25 07:32
続編No.56<物質と意識>
<超能力とは>の章では、物質と意識の間に相関関係があるかもしれぬ可能性について言及してみた。 これは、意識と物質との間に、その相互作用を営むための、極めて微細なプロセスが存在していることを示唆するものである。 ...続きを見る

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2005/03/25 07:30
続編No.55<超能力とは>
超能力と一口にいっても、その種別は多岐にわたる。大きくわけて、PK(念動力)などの能動系と、テレパシーなどの受動系にわけられよう。ここでは能動系の能力について、主に言及する。 ...続きを見る

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2005/03/25 07:29
続編No.54<唯物主義の遺産>
現在、唯物論的な科学が成し得た最大の功績は、霊性の科学における、まがい物の多くを払拭した点にあるといえるだろう。もとより霊性の科学は、論理的、実験的根拠の乏しい性質のものであるため、実際に効能がなければ、淘汰されてしまわざるを得ないからだ。実効性の少ない霊性の科学が淘汰されていくことは、このジャンルを学ぶ者にとって、一つの福音であるかもしれない。もっとも、残された内容が本物であるか否かの判断を怠ってよいというわけではない。やはり、何事にも慎重な姿勢が肝要だ。 ...続きを見る

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2005/03/25 07:28
続編No.53<人と組織>
誰かを中心に人が集うとき、最も恐ろしいのは指導者の絶対化、偶像化である。なぜなら、そこには必ずといって良いほど盲信と排他性が同居するからだ。それらは組織が硬直化し、衰退する原因である一方、求心力を高める道具でもある。 ...続きを見る

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2005/03/25 07:27
続編No.52<理想社会の実現>
実のところ、理想社会の実現を意図する有志は、いつの世にも無数に存在している。けれども、それが実現しないのにはわけがある。そして、その理由こそ個々の存在が無意識のうちに育むエゴにあるのだ。排他性という名のエゴ。 ...続きを見る

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2005/03/25 07:25
続編No.51<ある勉強嫌いの男の話>
その昔、あるところに勉強嫌いの男がいた。 男は勉強が嫌いだったが、芸術のセンスに恵まれていて、歌を歌えば聴く者全てに涙を誘い、絵を描けば見る者全てを魅了した。 けれども、男の師は、彼にいつもこう忠告するのだった。 「お前は確かに芸術の才能は並外れているが、学ぶことを怠ってはならない。学問をなおざりにすれば、独善を招き、お前の視野を狭めるばかりか、大切なものを見過ごしてしまうことになるであろう」と。 けれども、男は師の忠告に耳を傾けることはないのであった。 男は思っていた。 「芸術家の... ...続きを見る

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2005/03/25 07:24
続編No.50<学問の意義>
現代教育が子供たちの勉強嫌いを助長することで破壊してしまった学問の意義を問い直してみたいと思う。 ...続きを見る

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2005/03/25 07:23
続編No.49<唯物論からの脱却>
愚見をご覧になっても、我々の本質が霊的存在であるという認識に馴染めず、唯物論的な価値観に固執する御仁もいることだろう。 だが、そうした価値観を支持するということは、人の価値や物の価値に明白な序列、優劣を認めることにつながるという事実を自覚すべきである。 極端にいえば、自分より劣るものを見下し、自分に関わるもの、あるいは自分が必要とするもの以外はなくてよいと宣言しているのと同じなのである。 ...続きを見る

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2005/03/25 07:22
続編No.48<陰謀の所在>
陰謀論を展開すると、決まって反対論者は証拠を差し出すよう要求してくる。 しかしながら、そうした証拠に関しては、すでに多くの書籍によって無数に挙げられている。 もっとも、それらの多くが、「トンデモ本」のレッテルを貼られ、単なる与太話として片付けられようとしている一方、そうした事実そのものが、陰謀の実在を如実に物語っているようにも感じられる。 目論む者にとっては、真実を語る書物に対してこそ、その権威や信用を剥ぎ取る必要があるからだ。 ...続きを見る

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2005/03/25 07:21
続編No.47<客観性の所在>
確かに、霊的自覚にまつわる愚見は、唯物論的観点からすれば、私の主観に過ぎないものかもしれない。しかしながら、果たしてこの世に、真の客観など存在するのだろうか。 ...続きを見る

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2005/03/25 07:20
続編No.46<磔刑の真実>
イエスの磔刑に込められた真意を見誤っている御仁は決して少なくない。 彼は、己の命を犠牲にすることで愚者の命を尊んだわけではなく、生きることへの執着を否定したわけでもない。 それは、より尊いものの存在、より価値あるものの存在を守ろうとした行いであったに過ぎない。 より価値あるものとは、呪いと復讐からの脱却を我々の意識に根付かせることだ。 つまり、命より価値あるものの存在を告げようとしていただけではないだろうか。 それはまた、現世の生にのみ執着するのではなく、霊的存在としての自覚を促すこと... ...続きを見る

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2005/03/25 07:19
続編No.45<犠牲供養>
かつて、イエスは罪人とともに磔刑に処された。何も知らぬ者にとっては、十字架上のイエスと罪人との間に差異を見出すことはかなわなかったに違いあるまい。 イエスは、我々人類の罪過を償うための尊い犠牲にその身を捧げたといえる。 こうした犠牲に身を投じる行為は、霊的進化を促すといわれており、それらは犠牲供養とよばれている。 そして今日、同じように尊い犠牲が、有名無名を問わず、供されているのかもしれない。 ...続きを見る

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2005/03/25 07:18
続編No.44<成功と失敗>
成果が伴わなければ価値がないという考え方がある。物事には成功か失敗しか存在せず、失敗には価値がないという考え方だ。 一見、厳しい人生観を表す現実主義者の卓見であるかのようだが、私はこうした考え方にはすこぶる懐疑的だ。 実のところ、このようなデジタル思考を後押ししてきたのは、他ならぬ現代教育である。丸バツ方式で学業成績を評価して憚らぬやり方が、かように偏狭なイデオロギーの跳梁を助長してきたのだ。 だが、成功のともなわぬところに、本当に価値はないのだろうか。 勝負に際しては、勝者にしか得るも... ...続きを見る

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2005/03/25 07:17
続編No.43<命の序列>
過去の医師国家試験問題には興味深い設問がある。災害発生時、複数の死傷者がでる場面で、救急車で搬送すべき患者の選択を問う問題だ。 実際の場面で、単に患者の重症度だけを引き比べてその選択をするのは間違いである。同程度に重症でも、余命いくばくもない高齢者と小児を同等に扱うことはできない。 また、道端に生きる蛙のために人間様が命を投げ出すのも愚かな話だ。目に見える命には、明白な序列が存在するのである。 それは、この世に存在するものの中には、明白な価値の序列が存在することを意味する。実際、生命保険の... ...続きを見る

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2005/03/25 07:16
続編No.40<陰謀の手口>
情報の操作は、企む者にとって、愚者を操る重要な手段である。では、情報操作とはいかにして行われるものなのだろうか。 ...続きを見る

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2005/03/25 07:13
続編No.37<愛の充電期間>
不遇の身の上に置かれた子供たちに、因果応報を説いてその責任の全てを負わせることはできまい。我々は、過去の罪のみを背負って生きているわけではなく、万民の贖罪のため、その身を犠牲にする場合もあるからだ。 ...続きを見る

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2005/03/25 07:10
続編No.36<誠の愛国心>
我々は、小さくは家族、学校や職場、大きくは国や人類といった対象に、それぞれアイデンティティーを育む。家族や郷土に抱く愛情は否定されないのに、国が相手となると、とたんに騒ぐ輩が存在する。そうした意味で、愛国心だけを殊更否定し、貶めようという風潮には訝しさの念を禁じ得ない。もっとも、国だけが武力を有した存在なので、その扱いにおいては、格別繊細にして慎重でなければいけないだろう。 ...続きを見る

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2005/03/25 07:09
続編No.34<唯物論と観念論>
人の意識とは、もともと目には見えぬものだ。しかしながら、我々は己の意識の実在を感じることができるために、他人のそれを信じてもいる。そして、我々が互いの意思を感じるためには、表現の存在が不可欠だ。我々の思いが行いとして表現されて始めて、互いの意識を通わせることができるのである。また、神とは、こうした互いの意識の中にこそ、それを見出せるものなのだ。 ...続きを見る

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2005/03/25 07:07
続編No.32<教育と宗教>
親や教師の価値観がゆらいでしまい、その行動規範に著しい矛盾を生じている昨今、誰を師とすべきか、子供たちがとまどってしまう場合も少なくない。 けれども、本当は、できの悪い親、教師ですら、反面教師として学び、自己実現すべきなのだと私は思う。勿論、これは小学生には難しい課題である上、大人が大人としての自己責任を放棄してよいということではない。 ...続きを見る

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2005/03/25 07:05
続編No.31<教育の功罪>
社会福祉制度の充実だけで、少子化問題をはじめ、幾多の福祉問題は、本当に解決するのだろうか。教育とは、もっとも無意識に我々の行動を規制するものであるにもかかわらず、今日のそれは衰退の一途を辿っているようにみえる。 現代教育の偉業により、家族観や地域のコミュニティー観に関わる共通認識が崩壊してしまった昨今、個の存在としての価値観や行動規範の再構築が必要なのではなかろうか。 ...続きを見る

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2005/03/25 07:04
続編No.30<虚飾と異質>
子供たちが、競ってブランド品を身につけているという。友達が持っているからもちたがるという心理。その心理の背景には何があるのだろう。 ...続きを見る

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2005/03/25 07:03
続編No.29<個性の尊重とは>
個性の尊重とは、互いの異質を容認することに通じる概念である。 思想や思考、あるいは嗜好の傾向に関わる互いの異質を尊重すること。 そして、真の個性尊重は、真の調和をもたらし得ると考えられる。 ...続きを見る

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2005/03/25 07:03
続編No.28<常識の罠>
「普通の人は言わない台詞」を云うのは常識に欠けることなのだそうだ。 先日、私が半ば冗談のつもりで吐いた発言に対して、ある知人が怒りを露わに、私の「非常識」を追及した。 ...続きを見る

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2005/03/25 07:02
続編No.27<競技と智性>
前作では、競技者は競技に携わることで、その理性を育んでいると結んだ。しかし、この見解は不十分である。確かに、もっとも後から発達した人の認識力は理性だろうが、競技者がその能力を高める作業の多くは、遺伝的アルゴリズムに頼った悟性のうちにある。 どういうことかといえば、理屈だけで競技が上達するわけではないということだ。 ...続きを見る

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2005/03/25 07:01
続編No.26<悟性と共時性>
忘年会のシーズンになってきた(現在12月)。忘年会といえば、座をつなぐ簡便な方法に、ビンゴゲームがある。このゲーム、毎年経験していると、ある法則に気がつく。 それは、ビンゴを引いた者と同じテーブルに、再度ビンゴを引く者が出やすいという事実だ。ひどい場合、誰もビンゴを引かないテーブルがある一方で、全員ビンゴを引くテーブルがでてきてしまう。 これは、確率的には極めて低い事象であるのだが、現実の世では、統計学者をあざ笑うかのように、こうした現象が起きている。これがいわゆる、実存世界におけるシンクロ... ...続きを見る

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2005/03/25 07:00
続編No.25<真理とは>
理性と悟性の調和によって得られる真理とは、いかなるものであろうか。 ...続きを見る

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2005/03/25 06:59
続編No.23<悟性と感性>
理性とは、知性の働きに負う、論理的思考の産物だと考える。それだけに、理性の働きには限界があるとも思っている。つまり、高度な知性の働きがなければ、理性は十分に機能しないものだからだ。 では、知的訓練を十分に施された大学教授の見識が、浅学な一般人の見識を常にしのぐかといえば、そんなことはあるまい。我々は、複雑な理屈を並べられても、何となく違和感を覚えることがある。そして、後になって、その違和感が正しかったことを知ることになる場面が少なくない。 例えば、その昔、原子力発電所がつくられるにあたっては... ...続きを見る

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2005/03/25 06:57
続編No.24<瞑想とは>
悟性と感性を育む瞑想とはいかなるものであるのだろうか。それは、真冬の滝行や結跏趺坐で行う特殊な訓練とは異なるものであると私は思っている。例えば、何気ない日常の中に、瞑想は潜んでいるのかも知れない。 ...続きを見る

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2005/03/25 06:57
続編No.22<理性の限界>
適切な議論、意思疎通をなし得、その上で異質を容認するためには理性や客観性が必要との認識に異論はない。 しかし、理性の働く前段階で、これを助ける論理や事実の認識力には明白な個体差がある。しかも、理性の適切なる営みには、自己欺瞞を排さねばならず、高度な客観性を維持した思考力と知性が不可欠となる。 さらに、客観的事実についても、認識力に関わる個体差が深く関わってくるので、客観の完全性を維持し難い。 以上は、理性の働きや客観的事実なるものに対して全幅の信頼を寄せることが困難であることを意味する。 ... ...続きを見る

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2005/03/25 06:56
続編No.21<意識の進化>
前作「眠れぬ夜に思うこと」で、私は理性のうちに神の視点を見出して論考してみた。しかし、本作では新たな視点を加えて、人の意識と認識力について迫ってみたい。 ...続きを見る

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2005/03/25 06:55
続編No.20<真実の敵>
この世には、理性の営みを超えて深遠な法則が横たわっていると私は実感しているが、霊性の科学における真実を知る者、またはその表現者は、皆等しく、ある陥穽に囚われる。 それは、虚栄だ。これは、己を特別視せずにはおかぬエゴに端を発したものである。 己自身が認知しづらいこのエゴこそが、霊性の科学を学ぶ者にとっては、最大の敵となる。 注意してしすぎることはない。普段から意識していなければ、己にはそれとわからなくても、他人はすぐに虚栄を見破るだろう。そうなれば、語る真理も色あせる。 ...続きを見る

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2005/03/25 06:53
続編No.19<真理の所在>
死の後に残されるもの。それは人の本質、即ち、生命の本質であるエゴを脱却した我々の意識の中で、神と呼ぶにふさわしい、最も尊い部分が残るという意味だ。 肉体とは有限な存在だが、人の意識の本質は無限であり、神と呼ぶにふさわしい存在である。人は皆、神であるという己の出所を忘れ、現世に化身した存在であるという意味だ。 肉身をもつ意義は、個々の意識の霊的進化にある。 仏教に伝わる「死なば皆仏」や「不生不滅」の概念は、そうした思想を表現しているのではないだろうか。 ...続きを見る

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2005/03/25 06:52
続編No.18<死後の生>
人の命の輪廻、再生を信じてはいても、身近な人を失う際の喪失感は筆舌に尽くし難く、ましてや、それが大切な人なら、なおさらである。 死が存在の終焉でないという思想は、一つの救いにはなるのかもしれないが、残された者の味わう深い悲しみを完全に拭い去ることはできない。 その死を前にして、現世に生きる我々にできるのは、故人の遺志を継ぐ傍ら、そこに何かの学びを得ることだろう。 ...続きを見る

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2005/03/25 06:51
続編No.16<エゴの下僕>
不思議なもので、我々には、常に何かの期待と、己の価値判断こそ優れているという独善的は思い込みがある。誰かや何かに対し、それが自分の期待した形、自分が正しいと信じる形にそぐわなければ、不満や不快を感じ、場合によっては敵意すら抱いてしまうようだ。 その昔、砂漠に一人の遊説者が現れた折もそうであった。ある者は彼をメシアと信じ、またある者は彼を敵視してはばかることがなかった。敵視した人たちにとっては、その遊説者が彼らの期待を裏切ったこと、彼らの期待した形にそぐわなかったことが問題なのであった。 ...続きを見る

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2005/03/25 06:46
続編No.14<展望>
人も自然の一部なら、天災と人災をわけるのにはあまり意味がないかもしれない。しかしながら、人災に限らず、天災によって生じる犠牲もまた、避けられないまでも、限りなく少なくすることはできるはずだ。 スマトラ島沖地震に伴う大津波は、科学的にこれを検知し、その情報を即座に当該地域への警報に結びつけるシステムがあれば、その犠牲を最小限にとどめることができていたことが指摘されている。実際、日本では地震があれば即座に津波に関する情報がもたらされる。今回の天災で、日本という国における先人たちの偉大な功績を改めて... ...続きを見る

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2005/03/25 06:43
続編N0.13<エゴの壁>
2004年12月。<災害と科学>を書き上げて間もなく、スマトラ島沖地震に伴う大津波がインド洋沿岸を席捲した。その犠牲者は30万人を超え、外国からの旅行者も数多かったという。 ...続きを見る

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2005/03/25 06:42
続編No.7<リセットの危機>
浜岡原発は日本にしかけられた時限爆弾だ。 緊急停止装置などといっても、想定外の巨大地震では制御棒の挿入は期待できないかもしれず、メルトダウンの危険が常につきまとう。 しかも、ただでさえ、ふだんからトラブルの多い原発である。 東海地震が起きた場合、何が起こるかを指摘するのは予言に域にさえ入らない。 トラの住む穴に入って行く人間の身に何がおこるかをいうのは、予言にはならないからだ。 ...続きを見る

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2005/03/25 06:31
続編No.6<科学的根拠>
地震は、遠い過去より連綿と繰り返す周期的な地殻変動である。 昨今多発する地震にしても、過去の経験を上回る規模では決してなく、建築技術の向上に伴い、実際の被害に関しては減少しているはずである。したがって、地震の多発がたちまちリセットの到来を意味するとは言いがたい。 これは良識派の理性的な見解だ。だが、本当にそう言い切ってしまうことができるのだろうか。 確かに、過去の記録を大きく上回る大規模地震は、滅多にあるものではない。しかしながら、現代の抱える特殊性は、何も高度な建築技術ばかりにあるとは言... ...続きを見る

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2005/03/25 06:29
続編No.5<災害と科学>
「眠れぬ夜に思うこと」を書き上げて、数ヶ月と経たないうちに、列島を記録的な台風が次々と襲い、多くの犠牲者を生み出した。その傷が癒える間もなく、新潟を中心とした大地震が発生した。その爪痕は未だ生々しく、軽率な発言は慎まれる。 しかし、それらが、やがて訪れるかもしれぬ大規模なリセットの足音でないことを祈らずにはいられない。 ...続きを見る

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2005/03/25 06:28
続編No.4<リセットの顕現>
始まりのあるものには終わりがあり、リセットは歴史の必然である。 我々にとって、もっとも確かな事実とは、致死率100パーセントである。 生まれし者は皆等しく死す定めにあり、なんぴともこれに抗うことはできない。 しかしながら、多くの現代人が、その事実を忘れてしまっている。 ...続きを見る

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2005/03/25 06:26
続編No.3<ラフスケッチ>
風景画を描く場合、才能がなくても、まずまずの作品を仕上げるためのコツがある。 近景、中景、遠景に対象物を配置した構図を決め、全体のバランスをとりながら、それぞれのラフスケッチを行うことだ。 この際、複雑な形状を呈する対象の細部に、目をやってはならない。 あくまで、全体図の中で、個々のバランスをとることが重要だ。 ...続きを見る

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2005/03/25 06:25
続編No.2<葛藤の理由>
なぜ、エゴと愛とのせめぎあいが現世に用意されているのか。 これは、そもそも「存在する」とはどういうことなのかという疑問に通じるかもしれない。葛藤のない状態とは、存在しないのと同じことではないだろうか。 例えば、いかに深い愛情をその心に育んだとしても、山中にひきこもって俗世と関わりを絶ち、これを表現しないのなら、存在しないのと変わらない。 隠遁者として生活し、他人と深い交わりを持つことなく生きれば、己が心の安寧を維持するのは容易いことだろう。けれども、そうした生き方を万民が真似するわけには行... ...続きを見る

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2005/03/25 06:24
「目覚めの朝に思うこと」−新世界への展望−No.1<チャート>
本ブログをご理解いただくために、拙著のキーワードを整理しておく。 ...続きを見る

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2005/03/25 06:23
No.46<理想社会とは>
理想社会とは、具体的にどういうものなのだろうか。 それは、個々の存在が、心に安寧を築き、至福の状態を顕現させた社会であると夢想する。 そこでは皆が利己と利他にバランスを保ち、思いやりによって互いの神性を認め合っている世界だ。 人々は愛に満ち溢れ、己の正体を自覚して生きている。即ち、互いが神の化身した姿であると認めあい、私心を制する。 檻の中でエゴは飼われ、育まれる。そして必要なときに、首輪を付けて連れ立てる。 ...続きを見る

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2005/03/25 00:22
No.44<圧力隔壁(再編集版)>
我々には大きく二つの人種が存在する。一つは、新聞や教科書に載る公的事実こそが、絶対的真実であると信じる立場と、世相には常に表裏があると認識し、こうしたメディアが伝える事実の外に真実を求める立場だ。 ...続きを見る

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2005/03/25 00:18
No.43<世界の巨悪>
[いよいよ、世界に隠然たる勢力を誇る巨悪の存在に焦点を当ててみることにしよう。] ...続きを見る

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2005/03/25 00:15
No.42<嫉妬とエゴ>
これまで、エゴの派生物として、欲望、偏愛、執着、恐怖、怒りを説いてきた。 エゴには、もう一つ、無視できない重要な側面がある。 それは嫉妬だ。 ...続きを見る

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2005/03/25 00:13
No.41<真贋論争>
私は、超常現象の存在を支持している立場だ。他方、こうした存在を否定してしまう立場を理解することも、またできる。 実際、現在の唯物論的価値観が支配的な社会においては、後者の立場をとる方が、何かと無難ではあるからだ。 ...続きを見る

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2005/03/25 00:12
No.39<幻想>
今日の社会が何らかのリセットを迎えるのは必至であり、同時に、現況の資本主義が、崩壊、破綻し、全く新しいパラダイムが台頭するという幻想が巷で囁かれている。 ...続きを見る

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2005/03/25 00:09
No.38<お金は愛の一側面>
裕福な家庭やその逆に生まれ出でるという不平等は、前世の因縁によって説明され得ることだろう。 また、努力して富を築いた場合、それは、他者から相応な愛をお金という形で受け取っただけのことだと私は思う。 企業家が成功する場合、こうした愛情を世間からいかに得るかということが鍵だと思われる。 ...続きを見る

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2005/03/25 00:08
No.37<資本主義は限界か>
資本主義にせよ、社会主義にせよ、それらは、我々個々の意識と独立した存在ではない。 つまり、体制を実際に支えるのは、法でもなければ理屈でもない。血の通った我々個々の人間の意識であって、それらを別個に論じることはできまい。 ...続きを見る

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2005/03/25 00:07
No.36<環境問題と企業倫理>
環境問題について、私は決して現状を楽観視しているわけではない。むしろその逆で、極めて切迫した危機感を感じている。 おそらく、このままでは遠からずリセットを迎えるのは必至なのではあるまいか。それはもはや、既定路線といえるのかもしれない。 ...続きを見る

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2005/03/25 00:02
No.35<地球環境問題>
地球温暖化の危機が叫ばれている。我々が、化石燃料を無尽蔵に使っていることが原因なのだそうだ。 この二酸化炭素の排出、地球という惑星がこれまで経験してきた環境の激変を省みれば、実はささいな問題かもしれない。地球を守ろうというスローガンもみかけるが、ナンセンスだと私は思っている。 なぜなら、地球様が温暖化に困るわけではないからだ。結局、人間視点で困るだけのお話。 太古の自然主義を礼賛する意見もあるが、これこそナンセンスの極みだろう。 今更、今日の文明や文化を否定して、これらを捨て去ることはで... ...続きを見る

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2005/03/24 23:57
No.34<人と法>
私は小学校以来、常々校則なるものに疑問を抱いてきた。それは、本来、生徒が調和を保って快適に学校生活を送るためにあるはずの校則によって、不自然に縛り付けられ、不快を感じることが多かったためだ。 ...続きを見る

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2005/03/24 23:54
No.33<聖戦の有無>
[宗教の世界では、時として争いを容認する場合がある。それらは聖戦と呼ばれ、これに命を捧げる行為は尊ばれる。けれども、日本人である我々の多くが、そうした考え方には懐疑的だ。] ...続きを見る

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2005/03/24 23:53
No.32<宗教の意義(改訂版)>
[輪廻転生や神を語ると、即、宗教であるとの指摘を受けて忌避されがちだ。だが、私の主張は本当に宗教なのだろうか。] ...続きを見る

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2005/03/24 23:52
No.31<転生輪廻と因果応報>−殺すべからずの理由−
転生輪廻を否定はしないものの、認めるわけでもないという立場は多い。 では、輪廻転生を認めることなく、神の御前における平等をどのように説明できるのだろうか。巷には、不平等があふれかえっているように見受けられる。 ...続きを見る

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2005/03/24 23:50
No.30<肉食と菜食>
転生輪廻の目的とは、個々の意識の霊的進化であろう。 そして、この霊的進化には、菜食主義が欠かせないと、頑強に信じておられる方々がいらっしゃる。 ...続きを見る

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2005/03/24 23:48
No.28<神意識の所在>
[瞑想によって体感できる神意識。それは我々のどこに存在するのだろうか。] ...続きを見る

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2005/03/24 23:42
No.27<瞑想の罠>
理性の働きに限界を感じ、通常の生活のみにては、生命現象に根ざすエゴの抑制は困難であるとの指摘がある。 これは、確かな事実なのかもしれない。私は、瞑想が鍵となるのではないかと思っている。 ...続きを見る

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2005/03/24 23:42
No.26<病の原因>
我々医者は、病気の原因を考える際、一元的であるよう教育を受ける。 人の体は千差万別で、たとえ原因が同じでも、個々の肉体によって、多彩な症状を呈するからだ。 個々の肉体に生じた病を考える場合も同様に、我々は多元的に考えることはあまりない。多彩な症状に惑わされず、その根本的な原因を導き出そうとする。 そして、この種の本質的な病因が不明の場合、対症療法と称し、個々の症状にそれぞれ多様な治療が施される。 けれどもこの対症療法は、病の根が深ければ深いほど、あまり効果が期待できない。なぜなら、本質的... ...続きを見る

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2005/03/24 23:40
No.25<究極のアイデンティティー>
互いの相違を自覚する上で、国籍意識をもつことには意義がある。また、世界で自分の立場を認識し、庇護を得るために、この意識は是非とも必要である。 ...続きを見る

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2005/03/24 23:11
No.24<希望>
戦後数十年にわたるこの国の教育は、一部の支配者に隷従する、有能な下僕を大量生産するために費やされてきた感がある。 その中で、若者達は思考が平坦になってしまい、チャットや2chに代表されるように無機質で衝動的だ。 そんな彼らに、世界の殺伐とした凄惨な歴史を是非学んでもらいたいと思う。 けれどもその際、私はこれが日本人のしてきたこと、アメリカ人のしてきたことという観点で歴史を認識して欲しくはない。 それらは全て、人が人に対して行った残虐行為であると認識して欲しい。 ...続きを見る

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2005/03/24 23:10
No.23<虚像と実像>
[互いに等しく神の化身であるはずの我々が、相手にみる敵の姿。その正体を問うてみる。] ...続きを見る

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2005/03/24 23:09
No.22<人の根源>
教育問題を含め、現代の世相が抱える諸問題は、個々の権利を主張する場面を勘違いした結果、引き起こされたものなのではなかろうか。 状況をわきまえぬ権利の主張が、調和を乱すエゴそのものであるという認識の欠落が生み出したもの。今日の状況は、過去に男性中心であった社会が、戦争を引き起こしたが故の反省から生まれたものであろう。ただ、男性視点に対する否定が行き過ぎただけの結果である。 ...続きを見る

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2005/03/24 23:07
No.21<命の尊厳>
確かに、我々は他の動物と比較しても、稀に見る程エゴ深き存在だ。それ故、抱えた自己矛盾も大きい。しかし、エゴを御する高次機能は、人のごとき清明な意識によってしか成し得ないかといえば、そうでもあるまい。 ...続きを見る

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2005/03/24 23:06
N0.20<長崎の事件に思うこと>
[長崎で、女子小学生が同級生を刺殺した。原因には諸説あげられているが、それらは、我々と無関係ではない。個人や家庭、ひいては社会へと蔓延した愛情の欠落が引き起こした惨劇ではなかろうか。] ...続きを見る

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2005/03/24 23:04
No.19<自己犠牲>
一般論として、子供を生む母親の方が偉い。家事をしてもらっているから頭があがらないというのはいかがなものだろうか。 ...続きを見る

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2005/03/24 19:42
No.18<家長の威厳とは>
家長の威厳を示すとは、どういうことなのだろうか。沢山のお金を持って帰ってきて、家族に贅沢をさせることなのだろうか。 それとも、家の中で何かにつけて威張り散らすことなのだろうか。 頑固親父や、肝っ玉母さんでいることばかりがそうなのではあるまい。 家長とは、一家の中で、誰よりも幅広い視野でものを考え、それを主張できる存在なのだ。それは、お父さんの役目というわけでもなければ、お母さんの役目というわけでもない。家長とは、決してお金をかせいでくるばかりが能なのではない。 ...続きを見る

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2005/03/24 19:41
No.17<家庭と教育>
近年、離婚が激増している。女性が経済的に自立してきたことと無縁ではあるまい。父親の仕事がお金をかせぐだけならば、必要とされなくなるのも当然かもしれない。 勿論、離婚そのものには、個々の事例により多様な原因があろう。 ドメスティック・バイオレンスの存在などは、止むを得ない理由のようにも思われる。 しかし、以前より、安易に離婚の選択がなされる場面が多くなってきた感が否めない。 同時に、父親視点の不在が、家庭に蔓延し始めている。 ...続きを見る

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2005/03/24 19:40
No.16<神の復権>
近年、礼節が廃れてきた。人々の間で愛が力を失ってきたことと無縁ではない。 そもそも、礼節とは他者への尊敬心なくしてあり得ない。では、他者への尊敬心とはどこからくるものなのだろうか。 ...続きを見る

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2005/03/24 19:37
N0.15<愛の復権>
公立の小学校が荒れているらしい。私が小学生の頃、すでに学級崩壊は起こり始めていたから、今の惨状は容易に想像がつく。 その原因に親の教育をあげ、地域性による場合があることを説明なさっておられる方がいらっしゃった。これも一つの事実には違いあるまい。 ...続きを見る

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2005/03/24 19:36
No.14<競技の心得>
我々は、勝負に際し、勝つことを望む。そして、その思いが強ければ強いほど、己の足腰を重くさせてしまう場合がある。負けたくないという強い思いが、敗北に対する恐怖感を育て、その一挙手一投足に硬さとなって現れる。この恐怖感の大きさは、勝ちたいという欲望、即ちエゴの大きさに比例する。 ...続きを見る

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2005/03/24 19:35
No.13<競技と勝利>
物事の勝ち負けを争う競技に携わることに関しては、長年、疑問を感じていた。 そこにいかなる情熱を傾けたところで、競技自体は、所詮、エゴのせめぎあいに過ぎないと認識しているからだ。 つまり、勝ちたいというエゴ。自分が一番でありたいというエゴの表現に過ぎないと思うからだ。 ...続きを見る

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2005/03/24 19:24
No.12<競技における勝敗の意味>
[教育者は、競技をいかように捉えているのだろうか。現場の混迷を鑑みれば、そこには競技に関する認識不足がありそうだ。] ...続きを見る

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2005/03/24 19:21
No.11<現代教育と資本主義>
資本主義と現代教育の実態との間には、密接な関係があろう。 資本主義の抱える弊害が、現代教育に目的を見失った競争のための競争をもたらして悪影響を与えてきたという指摘もある。これは、ゆとり教育を生み出した理由の一つといえるかもしれない。 しかしながら、世界の実情を鑑みれば、社会主義が良いというわけでもあるまい。 では、競争原理に基づいた資本主義体制下の教育には、どういう形が相応しいのだろうか。 ...続きを見る

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2005/03/24 19:20
No10<現代教育に思うこと>
現在、社会には、専門意識と一般的認識との間に、埋めがたい隔たりが生じているように思われる。 それは特定の分野に限ったことではない。 例えば政治であったり、医療であったり、教育であったりだ。また、罪と罰の意識も同様。司法と警察の認識も、一般人のそれとは乖離している。専門家としての常識が、一般的な感覚から逸脱してしまっているのだ。 その原因は、個々の業界が本質的に抱える諸問題と無関係ではあるまい。 ...続きを見る

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2005/03/24 19:10
No.9<全肯定と全否定>
我々は、何事によらず、特定の人物や事物に傾倒しがちだ。のめりこむ度合いが深くなればなるほど愛着も深まる。しかし、この思いは、容易に執着へと姿を変え、エゴとなる。 こうした全肯定の先にあるもの。対象の粗が全く見えてこなくなる状態こそが、盲信であろう。そして、それは狂信へと導かれるはずだ。 有害な新興宗教の多くは、こうした原理を巧みに用いて折伏している。 ...続きを見る

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2005/03/24 19:09
No.8<神とは>
神の捉え方について、私自身は哲学にも宗教にも浅学で、難しいことは解らない。 けれども、神という存在を何かや誰かの思想に限定しようとすることそのものに無理があろう。言葉には限界があり、それは表現の限界をも表しているからだ。 ...続きを見る

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2005/03/24 19:06
No.7<神性の顕現>
生命の本質であるエゴ。それを従える神性は、人以外の生き物にも認め得るものなのだろうか。 エゴそのものは、動物にもあると思われる。そこに人と違いはなかろう。ただ、それをエゴとして認識する能力は、動物にはあるまい。もっとも、人間であってもその認識を欠いた輩は大勢いることだろう。 エゴを統御する精神の自己表現は、動物においても行われている。自然界では、人間社会を超えた調和を実現させている種族は、決して珍しい存在ではない。 また、個々の生命に関していえば、生きるための摂食行為において端的に現れてい... ...続きを見る

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2005/03/24 19:05
No.6<エゴとは>
エゴとは、簡単にいえば、生命活動の原動力だろう。自己保存、自己保身、自己増殖。そこにあるのは、常に自己と自我のみ。他者を省みない利己の総称。 扱いを間違ってはいけないもの。決して主導権をゆずってはいけないもの。 仏教哲学でいうところの渇愛に近いものであろうか。 ...続きを見る

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2005/03/24 19:04
No.5<愛とは>
[悪に対抗し得る唯一の武器。いつの時代も、それは愛に他なるまい。] ...続きを見る

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2005/03/24 18:57
N0.4<悪とは>
[エゴのネガティブな側面を、悪の正体に照準を合わせて、考察してみる。] ...続きを見る

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2005/03/24 18:56
No.3<生と死>−死すべからずの理由−
個人レベルでのリセット。それは死である。だが、それをジ・エンドと解釈なさっている方も大勢おられることだろう。 私自身は、死とはジ・エンドでなく、リセットだと考えている。 つまり、その根底には転生輪廻の思想がある。私はそれを信じている立場だ。 では、輪廻とはどういうものなのだろうか。 ...続きを見る

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2005/03/24 18:54
No.2<生命の本質>
我々人間は、肉体を持った瞬間から自己のDNAを残すことを最優先させるという特質を帯びる。生命の本質はエゴなのだ。 ところが、エゴを優先させると、他の個体と共存不能に陥り、自滅するというジレンマを抱えている。 よって、肉体に宿った精神は、自我の抑制を自らに課す宿命にある。 人間は、他の動植物に比較し、この高次機能が発達しているが故に、抱えた矛盾も大きい存在だ。 ...続きを見る

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2005/03/24 18:52
「眠れぬ夜に思うこと」No.1<リセット>
最近、映画ではリセットを思わせる結末を目にすることが多い。 大災害だったり、戦争だったり、いわゆる破滅を連想させる類の物語だ。 こうした展開に感じるもの。それは何でもかんでも状況打開が難しくなってきたら「リセットしてやりなおし」的な、テレビゲーム登場以来、増大傾向にあるデジタル思考の危うさである。 現実はそんなものではないと思ってしまう。 問題を置き去りにしたままリセットに頼り、希望を求めて逃げ込んだところで、結局、同じ問題にぶつかるだけなのではなかろうか。 目の前にある問題と向き合う... ...続きを見る

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2005/03/24 18:50

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