眠れぬ夜に思うこと(人と命の根源をたずねて)

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zoom RSS <裁かれぬ罪>

<<   作成日時 : 2014/05/02 16:51   >>

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もともと、戦争は国際紛争を解決するための政治手段としての側面を持っていた。ゆえに、戦争終結後、互いに遺恨を残さぬよう、そこには一定のルールがあった。非武装民間人を攻撃目標としないというのもその一つである。ところが、大東亜戦争では米国がその禁を破って日本本土を攻撃し、東京大空襲では10万人以上の民間人が虐殺された。その後、広島、長崎に相次いで原子爆弾が投下され、実に20万人以上が虐殺されたといわれている。

南京大虐殺と呼ばれるエピソードは、終戦後の東京裁判で突如言われだした話だったが、この話を言い出したのは米国人記者で、最初はもっと少数の犠牲者だといわれていたものが、いつの間にか犠牲者30万人以上が既成事実とされるようになっていた。
この30万という数字こそ、まさしく米国側が行った日本人大虐殺に匹敵する数字である(実際には本土空襲を合計すると最低50万人以上の非戦闘員が虐殺された)。即ち、南京大虐殺は米国の戦争犯罪を正当化するために捏造された史実であるという見方ができるのだ。東京裁判では戦犯が裁かれたことになっているが、米国の犯した罪は全く裁かれていない。結局、この裁判ではっきりしたのは、いつの時代も、勝者が歴史の事実を書き換える権限を持っているという教訓だけであった。

原爆の使用理由に関し、米国の主張は戦争を早期に終わらせて犠牲者を少なくすることを挙げ、半数以上の米国人はその使用に納得しているのだという。とはいえ、こうした「目的のためなら手段を選ばず」という機械的な合理主義は人心の退廃を意味するものではないだろうか。それはある種、魂の病気と言っても差し支えあるまい。戦後、米国はこの病的思想を世界中にばらまき続け、それに感染する人々は増加の一途を辿っているように見える。それゆえ、被爆国でありながら、わが国でも核武装の必要性を主張する人が後を絶たないのであろう。
しかしながら、核兵器は応戦する術を持たない民間人を標的とした都市破壊兵器であり、どのように高尚な目的を掲げ、どんな言い訳をしてみたところで、人道上、絶対に許容され得ぬ手段であると私は思う。

はなはだ蛇足ながら、歴史を見つめるようになって以降、米国映画を観るたび例えようのない違和感を覚えるようになった。果たして、かの国に正義の何たるかを語る資格があるのかと。特に、米国国旗色を身にまとったスーパーヒーローの活躍を描く作品を観ると、その感覚が極限に達するのを避けることができずにいる・・・。

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
こんにちは。

おっしゃる様に機械的な合理主義は物質至上主義の思想で、心が有りません。しかし心は物質より上位にあると思います。物質を意識するのは心で心を意識するのもまた心です。

太平洋戦争の死者数日本人300万人位、米国人10万人位です。京都と奈良を除くほぼ全ての都市が無差別爆撃を受けました。B29により高射砲の届かない高さから雨あられの如く爆弾を投下しました。人類史上最大の殺戮です。そして最後に核兵器を使用しました。そして勝利した方が正義を主張します。

この21世紀は唯心論の方向に進んで行って欲しいです。地球環境の保全、貧富の格差縮小、の解決策は科学技術の進歩では無く、心の進歩に依存します。愛と慈悲の心です。煩悩をコントロールする人が増加すれば良い。インターネットの世界は既に。国境が有りません。国境が無くなれば人類は可成り進歩したと言えるし、大規模な紛争も無くなるでしよう。
華の熟年
2014/05/03 22:39
コメントありがとうございます。

量子物理学の発達に伴い、我々が物質と呼んでいるものの実態は極めて曖昧であることが明らかになってまいりました。個人的には、物質とは、何かの“意識”が相転移した姿に過ぎず、生物、非生物を問わず、あらゆる存在に意識が宿っていると考えています。全ては一体であり、個別に見える存在も、本当は普遍的な意識の多様な側面が表現されているに過ぎないと。
そして、あらゆる存在が何かの想いによって創造されているのだとすれば、想いのあり方にこそ、もっとも気を配るべきだという結論に達することができます。

しかしながら、大変残念なことに、そうした意識の何たるかを追究するより、目に見える物質的な繁栄のみを追求する人々の方が増え続けているように見えます。
そして、それとともに機械的な合理主義が蔓延するのは、あらゆる文明や文化に共通の末期症状なのかも知れません。
SHO
2014/05/04 12:24
☆☆ 生物、非生物を問わず、あらゆる存在に意識が宿っていると考えています。☆☆

おっしゃる通り、金剛経典には釈尊が過去世について深い瞑想で他の惑星に生えている植物や宇宙に浮かぶ岩石だったと言う事も書かれています。原初の魂まで遡っています。つまり意識は全ての物に宿っており、1個の素粒子にも心が有り、サボテンにも、夏に縁側で鳴くコウロギにも、この地球本体にも、銀河にも、そして我々の住んでいる4次元時空の宇宙全体は阿摩羅識と言う意識です。

物理学者の理論の中に、人間原理宇宙論と言うのがあります。人間が存在して意識したからこの宇宙が有ると言う究極的な理論です。この理論とピッタリ合います。アインシュタインはこの理論に反対し、量子力学の不可思議な現象にも懐疑的でした。しかし、量子論は現在の科学技術には必要不可欠ですが、人間の理解度を超越した不思議な学問です。人間の物差しでは測れません。その不思議な現象を上手く利用しているだけです。本質は理解出来ません。

☆☆目に見える物質的な繁栄のみを追求する人々の方が増え続けているように見えます☆☆

物質主義者は増加している様に見えますが、私達の様な考え方の人も沢山いると思います。

華の熟年
2014/05/06 21:32
お返事ありがとうございます。

物理学者のいう人間原理は、宇宙はもっとたくさんあるのに、そのうち、たまたま人間のように発達した知性を持った生命が誕生し得た宇宙だけが、その存在を認知、認識されているに過ぎない(だからこの宇宙は存在する)というものですが、一方では、宇宙を認識する知性の誕生は創造主の意図を反映した必然であり、我々人間の存在それ自体がある意味、創造主の存在証明であるという解釈もできます。小生は後者の解釈の方がより自然な解釈だと思っていますし、量子力学においては、我々の意識のあり方、即ち選択が、我々の観る世界を決定している、即ち物理現象と相関するのではないかという指摘もなされています。けれども、まだはっきりしたことはわからないというのが本当のところのようですね。
SHO
2014/05/07 19:48

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