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みんなの「思想」ブログ

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<ISは武力で制圧できるのか>
ISの残虐さが詳らかになるにつれ、彼らに対しては武力による殺戮、殲滅を支持する声が巷で高まっている。これまでのテロ集団とISとでは質が異なるから武力掃討もやむなしと誰もが思うようになっているのだろう。だが、それこそは時の気分に流されやすい大衆的発想でしかない。IS誕生の歴史を振り返れば、米英側が武力行使を繰り返すことでテロ集団もまた変質し、より凶暴になってきた過程を窺い知ることができる。それは用水路に潜むボウフラを殲滅しようと殺虫剤をまいた結果、よりタフで悪質な蚊が増殖して住民がしっぺ返しを食ら... ...続きを見る

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2016/05/03 12:01
<一国独立と核武装>
わが国の保守思想家たちの中には、一国独立を価値の頂点に据え置き、今日あるような対米追従姿勢、即ち属国状態からの脱却には、核武装が必要だとのたまう人々がいる。 しかし、一国独立を価値の頂点に据え置くという発想は、そもそも具体的な何のためにあるのか、疑問に思わずにはいられない。もし、その目的のために核武装のごとき退廃を容認するというのであれば、その目的の価値それ自体が貶められてしまう矛盾であるとしか思えない。 ...続きを見る

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2012/06/13 11:57
<日本人らしさとは何か>
日本人らしさとは何かと問われ、即座に思い浮かぶのは、惻隠の情と無常観である。前者は相手を自分自身のこと以上に思いやる優しさであり、後者は、森羅万象の移ろいをあるがままに受け入れ、形あるものに拘泥しないという哲学だ。勿論、方々に異論はあるだろうが、日本人とはかくのごとしだというのが、偽らざる私見である。 ...続きを見る

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2012/05/28 08:16
<賢者の選択>
多数で議論するのは正しいことだ。しかし、多数決でものごとを決めるのは、必ずしも正しいことではない。通常、最高責任者と呼ばれる者が最終決断を下すなら、多数決は必ずしも必要ないのだが、民主主義においては、その性格上、どうしても多数決を採用せざるを得ない場合がある。その場合、多数決でも比較的正しい判断が下せるような工夫が必要となるだろう。となれば、討議はより開かれた多人数で行い、決定は選ばれし少数の賢者が多数決で行うというのが民主主義の理想ということになるが、もし、それがうまく機能していないとすれば、... ...続きを見る

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2012/02/02 09:00
<幸福になるための技術>
先日、NHKで幸せになるための方法を扱う番組があった。コロンビア白熱教室第五回、「幸福になるための技術」である。その中で面白い統計の話が紹介されていた。 就職活動に際して、就職先のメリット・デメリットを書き出し、それぞれのポイントの重要性を勘案した上で最終的に就職を決めた理性派グループと、片やそうした面倒な手続きを経ることなく直感に従って就職を決めたグループとの比較検討の結果、社会人になってからは、明らかに前者の方が社会的地位も所得も後者を上回ったという。 しかし、その一方、仕事に対する満足... ...続きを見る

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2012/01/09 09:23
<日本が日本であるということ>
実は、国体も万世一系も、大方の一般庶民にとってはどうでも良いことだ。ミカドも将軍様もただの偉い人。しかし、王朝が交代する他国と異なり、万世一系を守り続けたところに日本の文化的特質があるのは間違いない。ゆえに、国体=天皇とする勘違いも生まれてくるのだろう。無論、ここでいう国体とは、国民体育大会のことではあり得ない。 天皇が神的君主であり、権威の象徴であるならば、将軍は政治的君主であり、権力の象徴である。権威と権力が分離して国が平和であったことが万世一系を実現させたともいえるし、万世一系が続いたか... ...続きを見る

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2011/12/18 09:58
<日本の存在意義>
意識の進化とは、経験を深めた存在の本質が、その意識を神の領域に向かって高めていくことを指す。そのように人間精神の在り方をみるとき、共同体を構成する個々の意識のレベルに応じて文化のレベルがあり、且つ又その文化のレベルに応じて、個々の意識の進化があるといえるだろう。 縄文時代には、争いや略奪の痕跡がなかったという説を耳にすることがあるが、その時代の人々は、穢れを知らぬエデンの住人であったか、あるいは現代の我々をはるかに凌ぐ進化した意識の持ち主であったのかも知れない。 「日本人はなぜ世界から尊敬さ... ...続きを見る

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2011/12/18 09:58
<諦観>
核を持ちたい馬鹿には持たせておけばそれで良い。この台詞には“あるがまま”の思想が隠されている。あるがままの思想とは、自らの外側にあるものに対して、己の正義を振りかざすことをしない、即ち“裁かない”というスタンスのことだ。持ちたい馬鹿者は、その愚かさによっていずれ自ら滅ぶ。それは、輪廻転生と因果応報の法則によって、我々の下した選択はその全てが、時をまたいで正確に我々自身の運命を決定付けるという意味である。 ...続きを見る

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2011/12/18 09:56
<ブータン王国>
ブータン王国は、GNPならぬGNH(国民総幸福量)の増大を国家目標に掲げ、国民が幸福感を得られているかどうかを、いくつかのアンケートでもって定期的に調査しており、90パーセント以上の国民が幸福であると答えた実績を有している。国民が幸福であるためには皆が健康でなければならないという理念のもと、人間の病は自然環境を害することによって生じるとの認識から、この国では、そのために様々な規則でもって自然保護に努めているという。そしてその結果、事実、国民には病気が少ないのだそうだ。 ...続きを見る

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2011/12/14 13:57
<神の時代>
預言といわれるものの中には、時々、神の時代の到来を告げるものがある。 人が、何か価値あるもののため、己以外の何者かのために、自らの命を捧げる覚悟を示すなら、そこには神の姿がある。 とすれば、核の矛先を向けられながら、自らは核に頼らずという死の受容を示すとき、人は神となるに違いない。 ゆえに、日本が核の傘を拒絶し、核武装の野望を全面放棄するとき、預言された時代が到来すると私は信じる。 そして、その最初の一歩が、脱原発なのだ。 やっと、歴史は動き始めたのかも知れない。 ...続きを見る

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2011/07/14 12:36
<GNH>
Wikiより <引用開始> 国民総幸福量(こくみんそうこうふくりょう、英: Gross National Happiness, GNH)または国民総幸福感(こくみんそうこうふくかん)とは、1972年に、ブータン国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクが提唱した「国民全体の幸福度」を示す“尺度”である。国民総生産 (Gross National Product, GNP) で示されるような、金銭的・物質的豊かさを目指すのではなく、精神的な豊かさ、つまり幸福を目指すべきだとする考えから生まれたものである。... ...続きを見る

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2011/06/13 12:44
<知識と智恵>
知識と智恵は異なる。 ...続きを見る

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2011/06/12 11:25
<被災者だけではない>
東北の方々を襲った惨劇に鑑みて、慈悲の神などいはしないなどとのたまうならば、それは全く愚かなことだ。 なぜなら、気の毒なのは東北の方々だけではないからだ。 生まれてきた以上、誰もが人生の浮き沈みを経験し、そしていつか必ず、そこに終焉を迎える。 医者から末期がんを宣告された方々を除き、ほとんど全ての人々が、いつ、どのような形で自らの人生を終えるのかを全く知らない。 つまり、我々は皆、潜在的かつ本質的に気の毒なのだ。 かわいそうなのは我々全員。 今ある姿だけが全てでは決してない。 ゆえ... ...続きを見る

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2011/06/06 12:47
<真善美>
美しいものには真実があり、真実には善が宿る。 真・善・美は、同じ一つの真理が有する三つの側面であるのだとか。 藤原正彦氏の最新刊「日本人の誇り」にそうあった。 ...続きを見る

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2011/05/16 14:03
<対治と同治>
対治と同治というコトバが仏教にはある。 対治とは、病に対して薬や手術を用い、これを治そうとする行為。 医者による治療がこの典型。 要するに、病を悪としてこれに抗うもの。 ...続きを見る

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2011/05/12 20:01
<始動>
獣の論理とは、力を正義に据え置く理性宗教の教え。 自由の美名に隠されし獣化、ジャングル化、弱肉強食の掟。 ...続きを見る

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2011/05/11 19:05
<愛の連鎖>
原発は、それが造られた場所に住む人々や自然に過大な犠牲を強いる節度なきエゴの権化。 自分さえよければそれで良いというヒトの想いが実体化したもの。 ...続きを見る

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2011/05/05 17:06
<死の受容>
観念としての死と、実感としての死。 そこには大きな隔たりがある。 後者を受け容れているか否かは、行為に顕われる。 明日、己の命が尽きることを前提として、今日を生きているか否か。 次の瞬間、死ぬことを前提として、今を生きているか否か。 獣は、ただ死に抗うために生きるのが定め。 ...続きを見る

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2011/05/05 08:56
<真の理>
衆愚政治を劇的に転換させるには、もはや暴力革命しかないと多くのヒトが考える。 そして、そのような想いが人間の側にある限り、その実現が途絶えることは決してない。 だが、そのような行為がもたらすものは、罪なき人々の犠牲と、際限なき暴力の連鎖だ。 劇薬には犠牲と依存性がつきものである。 それは、時のうつろいを悟れぬ者たちの終わりなき悪夢。 目的の前にあって手段を選ばぬ退廃が、それを引き起こす。 近代合理主義という名の獣の論理がもたらすもの。 ...続きを見る

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2011/05/05 08:51
<矛盾>
信仰の伝統化したものが宗教であるならば、宗教もまた伝統的叡智の宝庫とみなされねばなるまい。 つまり、宗教を仮構にとどめて論を紡ぐという行為自体が、とりもなおさず近代合理主義に通じるというわけだ。 西洋発祥の保守思想が伝統に依拠することを前提とするなら、そこにはやはり、キリスト教的価値観がその自覚のあるなしに関わらず内包されているのではないだろうか。 ...続きを見る

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2011/05/05 08:49
<無自覚な信仰>
多くの人々の主張にあって、信仰という代物は実に無自覚に紛れ込んでいるものである。 そのうちのひとつにニヒリズムがある。 人間存在をして、ただ飯を食らい、糞を垂れるだけの有限存在と規定し、死ねば全てがおしまいであるとする思想だ。 ...続きを見る

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2011/05/05 08:46
<信仰の伝統化>
宗教と信仰とは混同されることがしばしばだが、宗教とは、信仰が歴史の修飾を受けて伝統化したものである。つまり、信仰それ自体と、宗教とは似て非なるものだ。 たとえば、哲学は宗教とは異なるが、それは最終的に証明不能な何事かを受け容れねば論理が成立しない。この証明不能な何事か、これこそが信仰なのだ。 そういう意味では「宗教的絶対は仮想を超えるものではない」というのも、“信仰”の一つだ。 その信仰が伝統化したものの一つが理性宗教である。いわゆる唯物論に代表される価値体系に基づいた近代合理主義だ。 ... ...続きを見る

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2011/05/05 08:41
<実在と偶然>
果たしてこの世に偶然はあるのだろうか。 悠久の時間に都合の良い偶然を見出そうとするのが進化論である。 だが、偶然が存在するためには、実在は予め相互に関係することの不可能な分離状態になければならない。実在が不可分の一体であるとき、この世に一切の偶然はなくなってしまう。 ...続きを見る

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2010/07/05 17:31
<求める心と求めぬ心>
知識は無知の一形態に過ぎない。 成功を求める人は後を絶たないが、その成功が何を意味するものであるかに思いの及ぶ人は少ない。 求める心には際限がなく、次々と得ても満たされぬことを人は悟る。 次々と失ってみてはじめて、何を求めるべきかを人は悟る。 意識の浅い領域が求めるものと、深い領域が求めるものとの埋めがたい乖離は人を苦しめずにはおかない。 すでに満たされていたことに気づくとき、解脱のときは近いのかも知れない。 求める心と求めぬ心。 どちらを求めるも自由である。 ...続きを見る

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2010/06/23 03:20
<時間と意識>
時間とは何を意味するコトバなのだろう。アインシュタインの相対性理論によれば、時間の流れ方は相対的であり、我々の実感とはかけはなれて時間が存在することが示されている。時間と空間とは不可分であるため、我々の世界は三次元空間に時間という一次元を加えた四次元時空として表現されるのだそうだ。 ...続きを見る

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2010/06/20 18:14
<意識という「場」>
私はシャンカラ哲学の語る不二一元の教えに真理を見出しているが、私自身には学者のような知識があるわけではない。私の苦悩をよく納得せしめる真理がそれであったというに過ぎない。この意味では、私の理解が本当にシャンカラ哲学と同じものであるかどうかも定かではない。誰かに説明する際に比較的たとえ易いというだけだ。 シャンカラの語る不二一元は仏法の色心不二、あるいは色則是空空即是色といった卓見に通じることだろう。目に見える物質と目にはみえぬ我々の意識とは一体であるという意味だ。 ...続きを見る

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2010/05/02 09:52
<運命と自由意志>
因果応報、輪廻転生の法則に従い、人生のグランドデザインは過去世のカルマによってある程度決まっていると私は思う。それが運命と呼ばれるものである一方、これはまた人生の岐路における種々の選択によって新たに築かれてもいるだろう。即ち、我々の想いと選択が自身の経験する新しい世界を瞬時に創り出しているということだ。過去の想いと選択が現在を創り出してはいるものの、未来は未だ不確定で現在の想いと選択によっていくらでも変わり得るという意味である。 そして、決まってしまっているかのごとく見える運命を自在に操る鍵こ... ...続きを見る

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2010/02/15 09:15
<日本の精神文化が世界を救う>
先ごろの国連の核廃絶を目指す決議など茶番に過ぎまい。核を持っている国々、核に頼る国々がいくら核をなくそうと叫んだところでナンセンスだからだ。核に頼らぬ外交と国防を成し遂げた国の首脳にしか核廃絶を叫ぶ資格はないことだろう。 結局、核廃絶はそれに頼らぬ個人のハートがまずありき、その延長に国が、そして世界があるのでなければ成し遂げることはできない。いかなる理屈を用いようと、核抑止の延長に核廃絶など有り得ない。 ...続きを見る

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2009/10/07 08:52
<日米安保に思う 再編集版>
日本の核武装を唱える理由に、北朝鮮の脅威を掲げる御仁は多い。しかし、目下、それが現実的な脅威であると納得できる根拠にお目にかかったことがない。 かの国のミサイル発射実験にしたところで、ヤクザの恫喝と大差ない瀬戸際外交のなせる業ではないかと思われてしまう。 そもそも、かの国がかろうじて生きながらえているのは、朝鮮総連を通じて日本から巨額の“支援”が行き渡っているからではないだろうか。その日本を核攻撃して彼らに利するものがあるとは到底思えない。ゆえに、どれほど多くのミサイルがわが国に向けて並べら... ...続きを見る

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2009/10/07 08:24
<伝統精神と核武装>
確かに、報復に対する恐怖が戦争を抑止するという核抑止論に一定の理はあることだろう。しかし、問題はそのようにしてつくられた均衡が破られないという保障があるのかということだ。それはちょっとしたミステイクの重なりで生じる可能性があり、その場合の被害の大きさは一つの文明圏、あるいは文化圏にとって致命傷になりかねない。 核兵器が安価になれば、不特定多数のカルト集団にまで行きわたってしまうことも考えられるだろう。集団が小規模になればなるほど、核攻撃を受けた場合、報復のチャンスも少なくなってしまうので、逆に... ...続きを見る

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2009/10/07 06:22
<誇り高く生きよう、喜びにあふれ>
私の先輩医師が、医師会報に寄稿した提言より引用させていただきます。 ...続きを見る

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2009/10/06 22:15
<武人の心>
核は、いかなる理屈を用いようとも、誇り高き武人の持つべき道具たりえない。核に頼る精神性の退廃を容認して国を残そうとしたところで、それはもはや形骸に過ぎまい。だが、武器を持つことそれ自体に反対するつもりはない。戦うことを否定したりなぞしない。ゆえに、核の否定は国防の否定では断じてない。護ろうとしているものの違いが手段を選ばせるだけである。 ...続きを見る

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2009/10/06 20:07
<希望>
おおよそ、始まりを迎えたものの中で終わりを迎えなかったものはない。 人の命は勿論、国にしたところで同じこと。 かつて滅びの時を迎えることのなかった国は一つとしてない。 ゆえに今ある国もまた、永続することは決してない。 ...続きを見る

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2009/10/06 17:10
<再臨>
キリスト教は、究極的には救世主の再臨を約束する教えである。しかしながら、そもそもたった一人の超人が地上に出現したところで、この混沌として複雑極まりない世界が救われることなどあるだろうか。 ...続きを見る

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2009/10/06 12:59
<核に頼るということ>
過去、二度の世界大戦を通じ、世界は総力戦の恐ろしさ、悲惨さを体験した。総力戦になれば、ルール無用、民間人を標的にすることも全く躊躇されない。 そもそも、ルール無用の喧嘩には勝ち方がある。それはつまり、金的蹴り、目潰し、頚椎への攻撃、関節破壊を躊躇なく行い、相手を不具不能にすることだ。あるいは、拳銃や刃物など、相手が所持していない武器を用いるのもよい。要は卑劣な手段を用いた方が優勢となるのだ。 だが、伝統的な日本人はそのような手段にうったえる相手を指して卑怯者と呼ぶ。 ルール無用の戦いにおい... ...続きを見る

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2009/09/27 19:48

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