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zoom RSS <原発を稼動するメリット?>

<<   作成日時 : 2011/11/02 14:25   >>

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原発を止めると化石燃料代が余分にかかって支出がかさむ。止めるのは損だから稼動する方が利口だなどという意見がある。要するに、原発は止めるのにも稼動するのにも金がかかるのだから、稼動させた方が得だというのだ。お得な理由の一番は燃料代の安さなのだとか。

http://agora-web.jp/archives/1396690.html

だが、原発がもともとないものと仮定するなら、化石燃料の御代は必要経費だろう。原発があるから燃料代は安くすむという理屈は一見正しいが、そのために背負うリスク=コストの大きさが全く見えていないとしか言いようがない。
原発の背負うリスクは、人々の想像を超えて余りに過大である上に、想定すべきタイムスパンが果てしなく長くなってしまうので、個々の現実感覚の枠内では理解しがたいという特質を有する。つまり、リスクのコスト換算あるいはコスト認識が極めて困難なのだ。原発の場合、燃料費がいかに安かろうが、廃炉にするために必要なコスト、事故が起こった場合の処理にかかるコストなど、現状回復に要する費用が、他の電源とは比較にならないほど高額なのである。

仮に、原発を造ることで、これまで払わずに済んだ燃料代があったとしても、福島の事故によって生じた損失のすべてを、果たしてそれで賄うことができるのだろうか。ここで福島の損失を目先の経済活動のみに絞って計算するようでは全くお話にならない。祖先から受け継いだ故郷に住むことができない、子々孫々に安心して引き継がせることができないという事実は、もはや値を付けることそれ自体が困難な損害だからだ。また、子供たちへの健康被害は、すぐには見えてこないだけにその規模が計り知れない。にもかかわらず、原発のコスト=リスクを可視的かつ短期的な経済的損得次元でのみ論じてしまうのは、そこに金勘定でしか物事の価値を測れぬ人間精神の退廃が潜んでいるからだろう。

原発がある限り、今後も福島のような悲劇が起こり続けるのは間違いない。どれほど技術を極めようとも、それが人の知恵と手で造られる以上、“想定外”は必ず起こる。人の持つ限られた知恵で全てを想定することなどできないし、想定できたとしても、その全てに対処してのけることもまた、できないからだ。ゆえに、原発事故は単に技術的な問題で、技術を高めさえすれば、危険を回避できるなどと期待するのは愚の骨頂といえるだろう。それは人間の無謬を信じるのと同じことだ。どんなに堅牢な構造も、ひとたびテロの標的にされれば、ひとたまりもないだろうし、極端な話、隕石の衝突を防ぐ手立てなど、どこにもない。原発の有用性を語る人々は、専ら“想定外”が自分の生きている間に起こるかどうかだけに鑑みて、損得を推し量っているように見える。

結局、原発を造ってしまったという事実それ自体が過ちなのだ。その過ちを過ちで覆い隠そうとするのは愚かなことだ。過ちを償うのにコストがかかるのは当然であり、化石燃料にいくら費やすことになろうとも、廃炉にするのにどれだけコストがかさもうとも、それが、原発に手を出してしまった者の払うべきコストなのだ。目先の損得勘定で我々が脱原発を怠れば、次なる世代にその付けが持ち越されるだけの話ではないだろうか。

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