眠れぬ夜に思うこと(人と命の根源をたずねて)

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zoom RSS <愚者の選択>

<<   作成日時 : 2011/04/15 09:40   >>

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確かに、何事も先行きがどうなるかをいうのは難しい。ゆえに、現在を生きる我々の選択が重要となるのだ。
だが一方、虎の住む穴に無防備でのこのこ入って行く者の行く末を言うのは決して難しいことではない。
未発達な幼児には、わからぬというだけだ。
“石油がなくなるから原発が要る”というのは、論理の欠落も甚だしい。それは、雷が鳴るのは、オニが太鼓を叩いているからといっているようなものだ。
ただそれだけの理由でかくも危険な原発が造られ続けてきたのは何故なのか。
そして、その危険ですら、自動車事故や個人の用いる火の危険と同一次元で語られ、その安全性の評価は、原発を飯の種とする人々と、その愉快な仲間達に任されてきたといってよい。

最高度の安全を求めれば、それだけ投資がかさむので、ある程度で見切りを付けねば稼ぎにはならないという現実がある。だが、原発のカラクリを理解すれば、最高度の安全なるものが技術礼賛の幻想に過ぎないことがわかる。人間のやることは決して理論値にはならないものだからだ。
実のところ、10センチちょうどの線分を引くことすら、人間には不可能なのである。
せいぜい10.00△○□・・・が関の山。

最高レベルの安全設計を施すことができたとしても、施工段階でも最高レベルが維持されるというものではない。針金のきれっぱし一つ現場に残しておくだけで、どれだけ危険をもたらすかということを知らない作業員が工事を担当するのだ。
技術というものは、それが生身の人間によって支えられているということを知らない者だけが、これを過信、妄信することができるのではないだろうか。
100年、あるいは10年でさえ想定することが困難な大衆に、1000年や一万年というタイムスパンを想定するなどできはしない。それができるのは賢者だけだ。
賢者は愚者の選択を笑えても、愚者には賢者の選択を理解することさえおぼつかない。

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