眠れぬ夜に思うこと(人と命の根源をたずねて)

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zoom RSS <大衆と原発>

<<   作成日時 : 2011/03/18 13:48   >>

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日本の原発建設は将来の核武装を視野に入れた国家政策で始まったといってよい。
実際はエネルギーを原発に頼ることで電気料金は割高になっており、OnOffの困難な原発を運用するため未稼動になっている火力発電所を用いれば、電力供給には必ずしも事欠かないという報告もある。
ゆえに、エネルギー供給に原発が必要というのは、単なる刷り込みかも知れない。
公共事業の名目で造られ続けているため原発依存度が高くなる一方、これに温暖化二酸化炭素悪玉論が拍車をかけているのが実情だ。
潤うのは政官業ヤクザ。
しかし、その温暖化二酸化炭素悪玉論も、原発産業界による喧伝の可能性が指摘される。
いずれにせよ、これほど地震の多い国に、国家にとって致命傷を与えかねぬ原発を造るのは、愚か以外の何ものでもない。炉心溶融(メルトダウン)が進行すると、最悪の場合、原子炉圧力容器などが破損され、放射性物質が周囲に拡散する。

これまでは原発建設に際し、国も電力会社も原発安全神話の刷り込みを地域住民に行い、地方行政はそのお財布事情ゆえに神話への懸念を黙殺してきた。
福島第一原発にみられる危機的状況は、大衆を脱却した人間にとっては予期し得た事態であり、これまでに何度も警告は行われてきたわけだが、それらがきき入れられる事はほとんどなかった。
のど元に刃物をつきつけられてみなければ、その本当の恐ろしさを認識できないのは、大衆のゆえである。
エネルギー確保には原発が必要などというお題目を疑うことなく受け入れ、自動車事故と原発事故とを同一次元で論じ、少々の危険はやむをえないなどといいながら、自らがその災害の犠牲者となる可能性にさらされて初めて原発の有用性や危険を顧みるというのが、大衆なのだ。
そこにみられるのは、想像力の欠如だ。大衆を大衆たらしめるのは、自らの想像力のなさを自覚できぬ傲慢さにあることだろう。

原発の本質的な危険が明らかとなれば、原発を推進する国家政策にも痛手なら、原発業界全体にとっても痛手といえる。そこには政官業の結びつきがあり、互いが互いを“思いやる”がゆえに、可能な限り、本質的な問題をあからさまにしたくないという配慮が働くのは容易に想像がつく話だ。事の本質がおおやけになれば、今後に支障を来たすからである。
ゆえに、災害評価は最小値を公表しておきたい。不必要に自分たちと、その“仲間”の足を引っ張るような真似はしたくないのが人情というものだ。実際、評価を過大にしたらしたで、事なきを得た場合、後から大衆と業界全体から非難を浴びることになるだろうし、自分たちにとっても不都合というわけだ。

結局、原発の災害評価を、原発で飯を食らっている連中に任せれば、かくなる事態を招くは当たり前といえるのではないだろうか。そもそも、原発産業それ自体、その安全性の評価を、それを飯のタネにする人間に任せてきた欺瞞の上に成り立っている。
テレビで解説する専門家にしてみたところで、“仲間”を気遣うあまり、滅多なことは発言できない。
所詮は同じ穴のムジナなのだから。
しかしながら、自らが彼らと同じ立場に立ったときのことを考えると、官邸や東電の対応ばかりを批判することはできなくなってしまう。
ここでも、本当に批判されるべきは大衆の気質といえるのだ。

自前の核兵器を持つためには、原発がどうしても必要となる。
石油が豊富なイランに何ゆえ原発があるかを考えれば、それは明らかだ。
ゆえに、自前の核武装を是認するなら、たとえいかなる被害が原発災害によってもたらされることになろうとも、その存在を非難することはできない。
自前の核武装をいいながら原発を批判するのも大衆ならば、核廃絶を叫ぶかたわら原子力の有用性を説くのも大衆である。
ロジックの欠如、いわゆる時の気分がそうさせるだけの話だ。

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