眠れぬ夜に思うこと(人と命の根源をたずねて)

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zoom RSS <伝統について思うこと>

<<   作成日時 : 2010/03/28 00:16   >>

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歴史や伝統は、個々の人間の精神を形づくる根幹に位置しながら、それが不可視であるがゆえ、現代では功利主義、実利主義の前に衰退してしまうことが多い。伝統を軽視するということは精神性の軽視に他ならない。にもかかわらず、今日、そういう危機感の乏しい御仁が世の中では圧倒的多数を占めているといえるだろう。

世間ではほとんど知られていないにもかかわらず、西日本の医学部で行われる大学対抗のスポーツ大会は、参加大学44校、20種目30競技部門で、参加選手17000人超と国内の体育大会でも最大級を誇り、年に一度の大会でありながら、既に60回を超えて開催されている。私が出場していたバドミントンに関して言えば、男子だけでも数百人を数え、私の現役時代にはトーナメントによる個人戦シングルス、ダブルス、リーグによる団体戦を行うため、大会日程は5日間にまたがっていた。ところが、私が卒業してしばらくした後、その規模の大きさゆえに大会本部から競技日程の短縮を求められるようになり、主将会議の結果、それまでは単複両方参加できていた種目が、片方のみに制限され、本当の意味で最強の選手を決める大会ではなくなってしまったという経緯がある。

大会が5日間にまたがっていた頃、最終日まで試合に残ることはとても名誉なことで、そのコート上には何かしら厳かな雰囲気があったものだ。けれども、競技日程の短縮と、出場種目の制限によって、その名誉と威厳に満ちた特別な舞台はいとも簡単に消滅してしまった。
おそらく、この決定を下した者たちは、大会本部の要請に基づいた苦渋の決断であったと弁解するだろう。しかし、その決断が伝統という名の精神性の破壊とその断絶を生じるという事実にまで気付いていたかどうかは大いに疑問である。本当に伝統を残すつもりがあったなら、各大学のトップ選手のみ単複参加を認めるなどの特例を設けていてしかるべきだったからだ。この変更によって、OB達の抱いた寂寥の念がいかほどであるか、もはや新しい制度に馴れてしまった現役には決してわからぬことだろう。
何故寂しさを感じるのか。伝統の重みとは他ならぬ精神性の重みであり、その断絶は精神の死を意味するからだ。

今日、市町村合併によって、由緒ある地名が次々と姿を消してしまっている。地名の消失が歴史と伝統をどれほど容易に衰退せしめるものか、多くの人々は無自覚、無関心だ。市町村合併を推し進める力こそ功利主義、実利主義に他ならず、これによって過去から受け継がれてきた価値ある精神性が存亡の危機に立たされているといってよい。そして最も問題なのは、伝統を破壊する側にそういう自覚が全く欠けていることだと私は思う。

(<ある思想家にあてた手紙>より編集)

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