眠れぬ夜に思うこと(人と命の根源をたずねて)

アクセスカウンタ

zoom RSS <ある思想家にあてた手紙>

<<   作成日時 : 2009/02/12 18:09   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

歴史や伝統は、個々の人間の精神を形づくる根幹に位置しながら、それが不可視であるがゆえ、現代では功利主義、実利主義の前に衰退してしまうことが多いですね。伝統を軽視するということは精神性の軽視に他なりません。にもかかわらず、そういう危機感の乏しい御仁が世の中では圧倒的多数を占めています。
貴兄がお嘆きになっていらっしゃるのはそういうことなのかなと思いつつご高説を拝見しています。

世間ではほとんど知られていませんが、医学部では西日本と東日本で年に一度、それぞれ西医体、東医体と呼ばれる大学対抗のスポーツ大会が開催されます。その規模たるや西医体だけで参加大学44校、20種目30競技部門で、参加選手17000人超と国内の体育大会でも最大級を誇り、今年で61回を数えます。私は学生時代、バドミントンをしていましたが、その競技は男子だけでも500人を超え、トーナメントによる個人戦シングルス、ダブルス、リーグによる団体戦を行うため、大会日程は5日間にまたがっていました。ところが、私が卒業してしばらくすると、その規模の大きさゆえに大会本部から競技日程の短縮を求められるようになりました。そして各大学の主将会議の結果、それまでは単複両方参加できていた種目が、片方のみに制限され、本当の意味で最強の選手を決める大会ではなくなってしまいました。

大会が5日間にまたがっていた頃、最終日まで試合に残ることはとても名誉なことで、そのコート上には何かしら厳かな雰囲気がありました。けれども、競技日程の短縮と、出場種目の制限によって、それらはいとも簡単に消滅してしまったのです。
おそらく、この決定を下した者たちは、大会本部の要請に基づいた苦渋の決断であったと弁解するでしょう。しかし、その決断が伝統という名の精神性の破壊とその断絶を生じるという事実に気付いていたかどうかは大いに疑問です。本当に伝統を残すつもりがあったなら、各大学のトップ選手のみ単複参加を認めるなどの特例を設けていてしかるべきだからです。
確かに、これは部外者にしてみればとるに足りぬ事例かもしれません。しかし、伝統を受け継いできたOBの感じる寂寥の念は計り知れません。何故寂しさを感じるのか。伝統の重みとは、精神性の重みであるからです。

今日、市町村合併によって、由緒ある地名が次々と姿を消しています。地名の消失が歴史と伝統をどれほど容易に衰退せしめるものか、多くの人々は無自覚、無関心です。市町村合併を推し進める力こそ功利主義、実利主義に他ならず、これによって過去から受け継がれてきた価値ある精神性が存亡の危機に立たされているのではないでしょうか。そして最も問題なのは、伝統を破壊する側にそういう自覚が全く欠けていることだと私は思います。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
<ある思想家にあてた手紙> 眠れぬ夜に思うこと(人と命の根源をたずねて)/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる