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zoom RSS <石川遼選手ウェルカムパーティー>

<<   作成日時 : 2007/12/19 06:53   >>

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マンシングウェアオープン2007の興奮から早半年以上が過ぎ、男子ゴルフはオフシーズンに入った。大会は石川遼という新たなスターを生み、本人は勿論、その家族や周辺の人々の人生を一変させた。
私はこの新たなスターの誕生を間近に目撃する幸運に恵まれ、その後も東児が丘でラウンドする度、17番ホールのチップインバーディーを目撃した興奮を誰彼かまわず語り聞かせるようになっていた。だが、その話のオチは決まって、その日彼のサインをせしめることなく家路についてしまった己の不明を後悔するというものだった。
そして今や、メディアは彼の活躍については勿論、その周辺状況に至るまで刻一刻と情報を伝え、それはそれで16歳の高校生にとっては気の毒なことだと思いつつも、彼は我が家にとって、決して目を離すことのできない身近なヒーローとなっていた。

そんなある日、私たち家族は思いもかけない幸運に恵まれることとなった。東児が丘マリンヒルズゴルフクラブの主催する彼のウェルカムパーティーへの出席を打診するはがきが届いたのだ。
何でも、彼の優勝を記念して17番ホールで植樹が行われ、その後にささやかなパーティーが催されるという。それはクラブ会員と、その家族一名に限った招待で、私が妻の名を書き、同じく会員である父が愚息の名を書くという形で参加希望を出し、結果的に家族三人、父を入れて4人の出席がかなうことになった。

12月15日当日、父と私たち親子は予定通り一時半に出発。パーティー参加者は仮設駐車場に車をとめるよう案内があったが、面倒がる父の勧めに従いゴルフ場まで進入を試みた。しかし、駐車場であえなく警備員に御用となり、仕方なく父と息子を降ろして仮設駐車場に車をとめなおす羽目になった。とはいえ、これは想定内。仮設駐車場からクラブハウスへの移動はスムーズで、タクシーによるピストン輸送であった。
会場入りは開宴40分前。会場はクラブハウス内にあるラウンジで、予定の3時にはつつがなく開宴。席は早いもの勝ちで、こうしたことには絶大な敏捷さを誇る妻の働きにより、一般席としてはもっともステージに近い好位置を得ることができた。
大会実況を担当し、あの「ハニカミ王子」の愛称の名づけ親でもあるKSB多賀アナウンサーの流暢な司会進行で宴が始まったが、早々に写真撮影とサイン要求の自粛が繰り返し強く言い渡された。

プロジェクションテレビで大会の模様を振り返った後、多賀アナウンサーの紹介で、ついに待ちに待った石川君が登場。茶色のジャケットに白のパンツといういでたちで、彼が壇上にあがるや否や、その周辺が明るさを増したような錯覚をもたらし、弱冠16歳にして、すでに特別なオーラを身にまとっていることに驚かされた。
壇上では、玉野市市長から彼に感謝状と地元名産のあたご梨が贈呈された。玉野市を世間にアピールするのに一役買った御礼ということらしい。その後、多賀アナウンサーにも、市長から感謝状とあたご梨が送られた。するとすかさず、彼は多賀アナウンサーにマイクを差し出して、「今のご気分は?」などと尋ね、会場をにぎわした。父はその如才なさに舌を巻いていた。実際、試合中の応援が重圧となってプレーに支障を来たしたことは一度もないと言い切った彼に、大器の片鱗を感じずにはいられなかった。
また、多賀アナウンサーは挨拶の席上、ハニカミ「王子」と名づけた由来を、TOUJIのOUJI、そして近隣の名所である王子が岳にちなんだOUJIでもあることを明かしてくれた。
石川君を間近に見て至福のひと時を過ごしたものの、その時間は極めて短く、彼が会場にいたのは10分少々でしかなかった。しかし、それはあまりに印象的で、濃密な10分であった。
彼が去った後、出された軽食をつまみながら、私は深い余韻に浸っていた。彼の礼儀正しさとしっかりとした受け応えに感嘆し、私自身の16歳を振り返ってその差に愕然とせずにはおれなかった。女性ならば、いや、人の親ならば、こんな息子が欲しいと思わずにはいられないことだろう。

宴が終わり、招待客の多くが家路につく中、私たち家族はわけあってクラブハウス内に残っていた。すると、父が家内に何事かを告げてティーラウンジの奥を指さした。その方向に目をやると、10名を超える報道陣がたむろしている。報道陣の向こうには廊下があり、コンペの後のパーティー会場がその奥にある。おそらく、この報道陣は、そこで食事を終えてでてくる石川君を待っているものであろうというのが、父の見解だった。
これに対し、妻が機敏に反応した。息子とともに、報道陣の末席を陣取ると、彼を抱き寄せて何やら耳打ちしている。その内容、私にはおおよその察しはついていたが、妻がかばんからサインペンを取り出した時点で、それは確信となった。だが、これを見て妻の決意を確信したのは私だけではなかったらしく、すぐに警備関係者が妻のところにやってきてこういった。「ご両親の希望でサインは駄目です。ご両親の希望ですからね。サインは駄目ですから。」かなり強い口調で言い渡されてしまったので、普通の人間ならたじろぐのに十分であったのだが、妻はその高圧的な物のいいように目をギラつかせ、不屈の闘志をみなぎらせて身構えてしまった。こうなってしまっては私が何を言っても無駄である。ひとまず離れて他人のふりを決め込んだ。

ほどなくして、ざわめいた報道陣の先に目をやると、石川君の姿が廊下の向こうに見えてきた。すると、妻に叱咤されたわけでもなく、息子が一人でその中にとことこ分け入っていくではないか。呆気にとられる報道陣を尻目に、石川君のもとに駆け寄る4歳の息子。その小さな手で彼の手を握ると、反対の手でマジックを差し出し、こういった。
「石川遼君のお名前書いてください。」
迷うそぶりをみせることなく、彼は息子の頭の高さまでしゃがみこむと、かぶっている帽子のツバにすらすらサインを書き始め、すかさず猛烈なフラッシュの嵐を浴びることとなった。
首尾よくサインをせしめた息子は妻のもとへ駆け寄りブイサイン。近寄って見れば、この半年、得られずに悔やまれていた石川君のサインがそこにあった。
でかした、息子よ!!
その後、石川君が再び近くを通ったとき、「ありがとう」のお礼を叫ぶわが子に目を細めていたら、横から家内がすかさず「あの日ここで見てました〜」などと気安く話しかけるではないか。やはりうちのカミサン恐るべし。負けじと私も「17番は目の前でチップインバーディー見てました。」などとほざいていた。「そうだったんですか」とにっこり笑顔の石川君に、すっかりミーハー根性丸出し、調子に乗った私たち馬鹿夫婦。「来年も必ず応援に行きますっ」とようやく返事を搾り出すと、興奮も頂点に達したのだった。

その日、招待客の中で彼のサインをせしめることができたのは、関係者を除けば息子だけであったに違いない。後で妻に尋ねると、息子も自分が一人で行かなければサインをもらうことはできないことをわかっていたらしい。そこで千載一遇のチャンスをものにすべく、幼い勇気を振り絞ったのだった。親馬鹿ながら天晴れな息子である。しかし、最も天晴れなのはやはり石川君だ。サインを求めることは勿論だが、サインに応じることもまた、禁忌であったのは間違いない。その禁を破って息子の勇気に応えてくれた彼の優しさと懐の深さに、私は深い感銘を受けずにはいられなかった。

石川君。
ご迷惑をおかけしていたらごめんなさい。そして再びありがとう。
どうか、この文章が貴方に届きますように。

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